★映画の宝石箱★美しき菫色の刻に愛を込めて☆ナルキッソスの鏡あるいは自惚れ鏡♪

楽の音は、小声で歌われる歌詞が消えても思い出の中でこだまする。by パーシー・ビッシュ・シェリー

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大好きなマリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)さま♪

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”アイドル”という響きはポップでもあり深いものでもあると思う。でも、此処ではあまり深く考えない。思いつくままに、私が夢中になったものを綴るだけ。”言葉には力がある”と思う。と同時に私は”言葉”というものを信じたいのだとも感じる。何故なら、インタビュー記事が大好きだし、歌詞の中の一節、あるいは一言が突き刺さったままであるものが結構ある。そんなことを考えたりしていた10代から差ほど大して進歩のない私...どうしたものか、このまま生きるのだろう。

人は時に世界一、自分が不幸者であるかのような被害妄想に陥ることがある。私は重症ではなかったけれど一時期のみ(一瞬ともいえる)。ただ、そういう時に詩を聴き、その歌声の人を想う。そして、救われてきたようにも。マリアンヌさま☆大好きになったのは『ブロークン・イングリッシュ』を買ったその日から。なので、もうかなり長い間大好きなお方。初めて聴いた作品だった。復活後でもありお声はかなり潰れていた。でも、その後、初期のアルバムを聴くまではそのようなお声の方だと思っていたので、その違いにビックリ!した。そして、可憐な容姿にも驚き、一層大好き~♪となってゆき、今日に至る。伝記本を読んだりしていてストーンズとの関係、特にミックとの関係に若い私はかなりショックを覚えた。まだ、ストーンズの音楽は聴いたことがなくて、知りもしないのにマリアンヌさまを裏切った人=ミック・ジャガーという安易な図式が出来上がっていた。ところが、色々音楽を聴いていく中で、やっぱりストーンズが聴きたくなる日がやってきた。私はその月に買う予定のレコードがあったので、まだ幼い弟にストーンズを買うようにお願いした(というと綺麗だな。企んだのだ、彼は私の好きなものを先ず否定はしないから。ごめんね♪)。

初期のカバー曲が大半のアルバムだったので、二人とも直ぐに好きにはならなかった。それから、2.3年経った頃だろうか?「ハイドパーク」のライヴを観る機会に恵まれ、マリアンヌさまも少し映るので嬉しかった。そして、この動くストーンズのライヴを観終えた頃、既にすっかりミックに魅了されてしまっていたし、ストーンズの音楽やその映像から感じられる色彩や雰囲気が”カッコイイ!”と思えた。ミックが何故素敵な女性達にモテルのか...なんとなく感じられた。マリアンヌさまとミックのツーショットは大好き!!お似合いだもの。でも、運命には逆らわれない、時代も関係しているだろうし。

ボウイの「1984フロアーショウ」の中に尼僧姿のマリアンヌさまが登場され、ボウイとデュエットするシーンがある。公の場に復帰された日でもある。60年代の英国ポップス界の華のおひとり。貴族の血をひくお方が、突如スキャンダラスの女王に。警察沙汰、ドラッグ、アルコール、自殺未遂、男性恐怖症からかレズビアンへ....と転落、どん底まで堕ちる。しかし、地獄を知ったものが這い上がる時の精神力に私は慄き、畏怖の念を抱く。私にはできない。

デレク・ジャーマンが「ブロークン・イングリッシュ」のビデオ・クリップを手掛けたことにより、デレク・ジャーマンを知りその後、遺作の「ブルー」までずっと観てきた。そのビデオが初めて動き歌うマリアンヌさまのお姿だった。ハイヒールに黒のレザーのミニスカート。嘗ての可憐なお嬢様のお姿ではなかったけれど、涙した。エレクトロなバックのサウンドに、あのダミとした重厚なお声がクールだった。それから、90年頃だったと思う、来日公演に行った。東京にいたので東京公演だった。満席ではなく招待チケットも出ていた程だともお聞きした。気品は失われることはない!でも、随分体型は崩れておられたけれど美しかった、とても☆ピアノとヴォーカルのみだった。後ろには綺麗な大きなお花がオブジェのように輝いていた。シンプルな舞台と構成、黒いドレスのマリアンヌさま。あのお声そのものだった、当然ながら。私はその頃はフレンチ・ポップスやシャンソンも聴くようになっていたので、そのライヴはなんとなく”シャンソン”(イメージ的な、言葉の意味ではなく)のような気がした。あの映像が頭の中にある。もう17.8年も前だとは思えないほど。会場は大人の方が多かったようだけれど、空席が目立ったことが不思議だった...。


  1. 2007/07/23(月) 15:10:28|
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妖しくも美しき英国バンドJAPAN★

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懐かしいようでついこの間のことのようでもある、私的なアイドル(のような)たちや思春期の想い出たち。この英国バンドが登場しなくては!当時、私の自転車で行動出来る範囲のお買い物コースは限られていた。伊丹の星電社か新伊丹の個人のレコード屋さん(店名を失念)、少し遠出をして塚口のミドり電化。ほとんどが日本盤。星電社とミドり電化には隅っこに輸入盤コーナーがあった。最初はそのコーナーを見ることもなく、先ず”デビッド・ボウイー(こういう表記だった)”のコーナーに向かう。何処にもボウイのコーナーは有ったけれど、数枚しかなく全く初期の作品がなかった。でも、毎月のお小遣いから一枚ずつ(高校生になるとお小遣いが増えたので、日本盤一枚と少し余りがあったけれど、この頃は一枚だけ)。ミドり電化のお兄さん(お若目のおじ様)は特にウロウロ探してる私に親切にして下さった。「ボウイが好きなんですね。」と言われ「はい、でもまだ少ししか持っていません。」と。「ヒーローズ」をコーナーからお持ち下さり薦めて下さった。そして、購入。段々音楽雑誌で知識だけ増えてゆき、ボウイの初期の作品は無いのでルー・リードやイギー・ポップ(ボウイがプロデュースしたと知ったので)をメモしてお店に行った。「このレコードを探しているのですが...」とそのお方にメモを渡す。「ああ、廃盤ですね。」(この繰り返しが幾度も続いた。)お目当ての作品が買えないので、輸入盤コーナーを見てみた。そこで「JAPAN」(2nd)を見つける。躊躇などなく買った。大当たり~♪

1978年のアルバム、US盤(後からそういう事を知る)だったので1000円と数百円位だったので、安いと驚いた。日本盤は大抵3000円位だった。音楽雑誌でこのアルバムの邦題を知る、「苦悩の旋律」。きゃぁ~!素敵と思った。ジャケットに映る長髪のデヴィッド・シルヴィアンも綺麗だと思ったけれど、次第にミック・カーンがメンバー中で一番のお気に入りとなっていった。眉毛の無い妖しい感じとかに不思議な魅力を感じたのだろうか...よく分からない。「ミュージック・ライフ」だったと思うけれど、綴じ込みポスターが付いていた号があった。今では切り取ったりしないのだけれど、その当時はそのポスターを切り取り自分のお部屋の壁に貼ったりしていた。私はアーティストのポスターを貼った記憶は数える程。最初は小さめのパネルの郷ひろみ(小学生の頃)、そして、すっかり洋楽ばかり聴くようになってからはこのJAPANが最初。小さめのものだった。そして、ほんの一瞬,GIRLというバンドの縦長のポスターを貼ったこともある。ボウイのポスターは付録には付かないので、母に梅田のポスター専門店まで連れて行って貰った。大きなポスターが2種類売っていた。どちらも欲しかったけれどパネルにして貰って電車で持って帰るのでどちらか1つ。選んだものは今も私の宝物。velvet moonのお店のオープン時からずっと飾ってあったもの。多くのお客さまから売って下さいとお願いされたけれど、母に買って貰ったものなのでお断りさせて頂いていた。

ある日、父が「郷ひろみから今はデビッド・ボウイーかぁ...(笑)」と言われたことがある。今もHIROMI GOは好きだけれど、あまり知らない。でも、遡れば私はジャニーズ好きなのだ。それは郷ひろみから始まる(フォーリーブスは少しだけ記憶にある)。アランやジュネという雑誌を購入していた。アランには毎号人気投票があった。外人タレントと国内タレントに分かれていた。外人タレントの1位はボウイだった(途中からシルヴィアンに抜かれた)。日本では郷ひろみやジュリーが上位だったので、私は真っ当だったと思う。アランかジュネか忘れたけれど(それもどこかにしまってあるはず)、萩尾望都さまが映画のインタビューに答えるような記事があり、”好きな男優は?”というような質問だった。”デビッド・ボウイー、ピーター・オトゥール、藤岡琢也”だった(オトゥールだけ自信がないけれど、きっとお好きに違いないと思う)。そして、渋いなぁ~さすがだなぁっと、私も藤岡琢也さんが気になるようになっていた。当時はよくドラマやコマーシャルにも出ておられたので。

JAPANは何処へ?...と取り留めの無い思いつくまま綴っているとすっかり”耽美派少女のための変態雑誌”(友人がそう呼んでいた)のお話へ。この雑誌を購入するのは大変だった。その友人の女子も購読者だった。大きな書店にしか置いていなくて、塚口のサンサン・タウンの中の広めの本屋さんにおそらく2冊か3冊程入荷するというもの。それも発売日が未定だった。その女子は塚口に近く有利だった。大抵先に購入し、”売ってたよ”と教えて貰い自転車で大急ぎで買いに行く私だった。残念ながら買えない号もあったけれどその女子に貸してもらったりして読んでいた。懐かしいなぁ...。ジュネの方は特に漫画が主体(漫画を断った私なのに)で、今で言うところの、ボーイズ・ラブというジャンルのお話が多かった。先日、この”はてな”サイトのメンテナンスの情報を読んだりしていた時に、どこかに話題になってるキーワードのようなものが載っていた。”やおい”の対義語は”白泉男子”とあったので、何故かワクワクしてどうしてなのか!(ちょっとピンと来たけれど)読んでなるほど~と納得したり、はて~?と思ったりした。こういうお話はとってもお詳しい友人がいるので、今度また教えて頂こうと思う。

結局、こうして今の私もどうも10代からの延長のまま年を重ねているのを自分で綴っていて痛感する。面白いようでもあり馬鹿みたいでもあるけれど、好きなもの、きっと”美しい”と思う基本的なものは変わらなくて、いつの間にか自分なりの好きな世界が繋がり絡まり深まっているだけなのだろうな...と思う。もう解散してしまったJAPANだけれど、今も大好き!ミック・カーン(とても上手いベーシスト!とも知らず)に憧れ、通販で適当に赤いベースを買って母に叱られた。教本も買ってちょっと音を出して遊んでいたけれど、そのベースが重くて重くて!結局、”JAPANのコピーバンド”(女子ばかりの)の夢もあっさり消え去り、お年玉で購入したそのベースはいつの間にか弟のものになってしまった。そして、私はずっとリスナー専門で今日に至る。


  1. 2007/06/29(金) 15:13:23|
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シャンソン界の異端児★ブリジット・フォンテーヌ(Brigitte Fontaine)

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御大フォンテーヌさまをアイドルとお呼びするのもピンと来ないけれど、此処は私の思春期にとても感銘を受けたアーティストたち、または青春時代が甦るものたちを思いつくままに綴ってみよう~と楽しいブログのはずが、妙に真剣になってしまう。茶化したり出来ない人達ばかりだし。以前、bghs君(ボーイフレンズ・デッドのリーダー)が私にとってのボウイさまはアイドルなのだと教えて下さった。どうも、ピンとは来ず畏れ多い存在なので身近に感じないし、感じたいとも思わない。しかし、最近色々考えたり綴ったりしてみるもので少し変わってきた。デヴィッド・ボウイという何者にも変えられない存在、それは私にとってのアイドルであり、ヒーローであり、ミューズであり、カリスマなのだ!全ての言葉が当てはまってしまうお方、なので14歳から今日まで一等大好きなお方なのだと☆

そこで、フォンテーヌさま♪もうジャンルを超えているのでシャンソンとかフレンチポップスとかアヴァンギャルドとか...吹っ飛んでしまう。パンクな存在とも言える。とても、ラディカルでありながら優しい(アレスキーも同様に)。それにおこがましいけれど、いつまでも可愛らしくて突飛で風変わり。ヴォーカルの衰え知らずだし、存在感は圧倒的だ。ボウイより少し遅れて16歳(高2の春)の時が出会い(『ラジオのように』)。『魅せられし声の美力』に綴ったことと重複するので簡潔に。そのお声と音の存在、間章氏のライナーノーツの活字、私の年齢...色々と理由は考えられるけれど、兎に角夢中になってそのレコードを聴いていた。NEW WAVEと呼ばれていた音楽たちと共に。その後、SLAPP HAPPYを知りダグマー・クラウゼにも夢中になった。その時も彼らの音楽はプログレやカンタベリーという音楽ジャンルなど超えていて、私にはNEW WAVEの音楽たちと同じように好きだった。国籍やジャンルなんて気にしない方が楽しいと思う。”好き!”と思って聴いたり観たりすればそれで楽しい。でも、アイドルは個性とルックスは重要!なミーハーな私。


  1. 2007/06/21(木) 15:15:31|
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トム・ヴァーライン(TOM VERLAINE)を美しいと思った頃

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トム・ヴァーラインを知ったのはソロ・アルバムから。伝説のテレヴィジョンやネオン・ボーイズに出会うまでに少し時間が掛かった。そもそも、名前を知ったのはパティ・スミスのアルバムに参加(クレジット)されていたから。

大学に入ってすぐの事、先輩のお姉さまと出会い意気投合(今はフランスへ)。テープ交換を頻繁にしていた。私がトム・ヴァーラインの曲を入れていたので喜んで下さった。テレヴィジョンも既にお持ちでレアなシングルなども録音してくださった。そして、とっても才女なお方で幅広い知識をお持ち。当然多くの文学作品を読破されていた。ちょうど10歳程年上のお方だったので、教えて頂く事ばかりなのに私がエコ・バニの曲を入れたりすると、気に入ってくださったり、プログレもかなりお詳しいお方だった。北村昌士さんも好きだと仰っていた。”トム・ヴァーラインってヴェルレーヌの英語読みって知ってた?”と教えて頂いた。まだその時はフランス語を全く読めもしない頃だったので、”そうなのですか!!”とヴェルレーヌをちゃんと読もうと思った(こういう単純さの連続で生きている)。ギターの音色も好きだけれど、最初はあの変な歌い方というかお声に魅力を感じた。そして、1stアルバムのジャケットに写るお写真かな、やっぱり。神経質そうで繊細な感じ、でも穏やかそう。リチャード・ヘルもその後、すぐに好きになったけれど竹馬の友のようなお二人ながら、違うだろうなぁ...と察知できた。個性が強すぎるので共にバンドは長くは一緒でなかった。どちらが凄いとか優れているとか、そういう比較は好きではない。

パティの恋人だったと知り、なんてお似合いなのだろう~♪と思った。追体験ながら、私の好きなパンク・ロックの多くはニューヨークだった。イギリスのクラッシュは別として。共通して感じられるのは詩人ぽさかな。インテリジェンスとヒリヒリした神経が音から伝わるように思えた。内面は佇まいにも自然と表れるものだろうから、ルックスからも感じられるように思ったものだ。

ひょろりとした細長い体型と首。正しく繊細そうで美しいと思った。後に太ってしまうけれど。来日公演を京都で!早くからブラブラ会場付近を歩いていると、本屋さんにギタリストの方がいたのでドキドキして遠目から眺めていた。そして、時間が迫ってきたのでエレベーターに乗ると、なんと!!トム・ヴァーラインご本人が★そういう時って、”絶句!”という状態になりサインを頂くことも可能だったのに握手すら、一言も何も言えずに固まっていたという感じ。まだあまりにも若かった(普通、若い頃は恐れを知らないものなのかもしれないのに)。でも、今でも面と向かうと単語すら出てこないでモゴモゴすることが多い。性格的な問題かな?でも、ビックリ体験とその奇跡的な瞬間に出会えたことは現実のことだったのだと思うとそれだけでも嬉しい♪



  1. 2007/06/05(火) 15:43:12|
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boyfriend’s deadを聴くと涙が溢れるのはなぜだろう

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ボーイフレンズ・デッド:boyfriend’s dead

私が初めてスージー・スーを知ったのは一枚のお写真(こういうケースとても多い!)、そのお写真を見つけ出したらここに掲載させて頂きたいと思っている。そして、レコードを買った。スージーがセックス・ピストルズの親衛隊だったとその後知り、追体験(既にピストルズは解散していた)。また、その続きは後に書こうっと♪見つからないものが多過ぎる今日この頃(それだけ年月が経過しているとも言える、ガクン)。

boyfriend's deadという日本のバンドがいる、とても大好き!今日も朝から彼らの音楽を幾度と無く聴いていた。彼らの楽曲たちの多くは私の胸に突き刺さるというのか、色々なものが巡る世界を奏でるようなのだ。何故だかわからない。いつまで経っても”何故?”ばかり。でも、分からないことがあってもいいと思う。流れる涙はそのままにしておこうと決めたのだから。でも、何故だろう。好きな旋律と音色、男女混合4人、それも個性バラバラで素敵過ぎる。そんな彼らはライヴを重ねる度に上手くなり、前進してゆくようだ。私の青春に欠かせなかった音楽、それもとても好きな音楽たちを彼らの世界の中に見つけることができる、すんなりと私の心を掴んでしまうかのよう。シューゲーザーというジャンルを喩えに使っているバンド。SPACEMEN 3という英国バンドがいた。ここでも、ミーハーな私はソニック・ブームという中心人物のルックスに魅せられた。映像の悪いブートレグのライヴ・ビデオを買った。暗くてよくわからなかったけれど、彼らの音がVELVET UNDERGROUNDからの影響が大きいと感じることができた。デヴィッド・ボウイさま☆が坂本龍一さんのラジオ番組にゲスト出演した時の録音テープを紛失してもう10数年経つ(寂しいなぁ...また思い出してしまった、記憶の扉は突然開かれるものだもの...)。ボウイが最も大好きな曲ばかりを数曲流して下さった中に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの”ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート”(ボウイは昔からライヴでよくカバーしている)があった。細かい部分の記憶が間違っているかもしれないけれど、ボウイは”私がロックンロールを演ろうとするとこの曲になるんだ。”と龍一さんと会話していた。ボウイは新旧問わず、好きなアーティストについて好きだという(あまり悪口を言わないのだ、よく言われるのに)。そして、デッカ時代からの兄弟のようなローリング・ストーンズにも近いと思う。ボウイ自身が好きなロックンロールは既に存在していた。でも、元来アングラ演劇、絵画畑のボウイはリンゼイ・ケンプとの出会いも大きく、ロックンロールの世界に演劇的要素を取り入れた。革新的な名盤『ジギー・スターダスト』は永遠だろう!ジギーのライヴ映像を観ると夢見心地な少女たちの表情や泣き顔が印象的で、いつもあの場に私も居たかった...って思ってしまう。彼女たちのあの表情は心から溢れるもの。流れる涙も理由など分からないのだろうと思う。でも、心から溢れるものは流し出せばよいと思うし、すると浄化される。boyfriend's deadの曲を聴き私の溢れる涙の意味が分からないけれど、辛いものではない。とっても幸福だとも言える。彼らの演奏スタイル(特にリーダーのbghs君)は俯き奏でるギター。真っ白な靴ではない足元。ところが涙のあとには大空を見上げる光に向かうエネルギーのようなものを頂けるのだ。なので、とっても清々しい気分になる。決して明るいサウンドではないけれど、耳に感じる音からイメージされる世界。それは人それぞれだけれど、私は彼らの音楽に癒されるのだと思う。ありがとう♪

  1. 2007/06/04(月) 15:47:37|
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私の好きなアルバム MYLENE FARMER / AINSI SOIT JE...

myleneainsicinemachouchou

●●●「私の好きなアルバム」●●●
"MYLENE FARMER / AINSI SOIT JE... " 1988年

ミレーヌの1988年のセカンド・アルバム。1stも現在のミレーヌも大好き!でも、やっぱりこの作品への執着からなかなか抜け出せないでいます。ミレーヌの書く詞の世界が好き、とっても。ポップなサウンドやどこか物憂げな美しい楽曲と歌詞とのバランスが独特で。ミレーヌの歌詞はなかなか翻訳が難しいとされています。私の知りうる現在の拙い解釈でもミレーヌの描く物語(愛)は、生と死、哀しみや孤独、少女として生まれ育ち大人になることへの嫌悪感と葛藤、夢と幻想、時に狂気をも帯びた世界。まるで私の気持ちを代弁してくれるかの様な美しきミレーヌは、最後のカリスマ!ミレーヌはとても誠実なのだと思う。そして人生は楽しい事だけではないけれど、それを誤魔化さず受け入れながら生きて行きましょう...苦しいけれども...と導いてくれるのです。この作品がリリースされた頃も今も、私はどれ程救われて来た事でしょう!アルバムを聴き終えた後に残る余韻が好き。誰とも比較できないミレーヌだけの世界がこの作品で既に完成されているかの様にも思えます...。余りにも大切な作品について語るのはとても難しい事ですね。

※「BRIGITTE」03号より




  1. 2007/05/16(水) 03:16:15|
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フランソワーズ・アルディ:FRANCOISE HARDY

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[フランソワーズ・アルディ/ベスト・セレクション」

私の好きな女性ヴォーカル・・・アルデイは欠かせない。素敵なアルディ、ちょっと風変わりな女の子、文学少女の風情と洗練された都会の女性、知的でエレガント。”アンニュイ”という言葉が流行した(私の周りだけ?)頃、ジェーン・バーキンが紙面を飾っていたけれど、私はアルディを直ぐに想起してしまう。学生の頃、よく通っていたレコード屋さんの店長さんに「バーキンとアルディ、どっちが好きですか?」と訊かれた事がある。私はどちらも好きなのだけれど、迷わず「アルデイさんです♪」と答えたら、その店長さんも「僕もアルディが昔から好きでね。」ってお話してくださった。懐かしい想い出、もうそのお店は無くなってしまったけれど、買わせて頂いたレコードたちは今も私のお部屋に居る。作業をしながらだとCDが便利。リピート再生も可能。すっかり棚に置かれっぱなしの愛すべきレコードたち。でも、大切なもの。特にアルディは個人的にジャケットが欲しいのでお小遣いを随分使ってきた。曲はダブっていて針すら置いていないものもある。別にコレクター意識はないのだけれど、アルディに限ってはツイツイ。

”フレンチ・ポップス”という意識で最初に好きになったお方(ブリジット・フォンテーヌが少し先だけれど、フレンチとかそういうジャンルを超えていたので)。俯いたお顔に長い髪のアルディのベスト盤だった(それは今でもアナログ盤でしか発売されていないジャケット)。中には大きな大きなポスターが付いていて嬉しかった。貼るには勿体無いのでレコードの中に入れたまま。日本盤のレコードだと邦題が付いているので、当時はフランス語が読めなかったのでその邦題で曲を覚えていた。その言葉たちから連想されるイメージ、その世界がとても心地良く大好きだったし、今も変わらない。アルディはデビュー初期はカバー曲が多かったけれど、次第に自作曲が主になってゆく。シンガー・ソング&ライターだ。フォーク・ギターを抱えたお姿の数々のお写真、斬新なデザインの粋なファションに身を包んだスラリとした長身のアルデイ♪なんて!素敵なのだろう。

お声について何も書いていない...でも、好きなアーティストって姿形から奏でる音楽やお声、全てに魅力を感じるのだから仕方の無いこと。ルックスに弱い私だし。さて、アルデイのお声、歌唱スタイルは画期的だと思う。その後、今日まで影響を与え続けているように思う。歌い上げる、歌い込むという対極に位置するかのような自然な歌い方。声量が乏しい(ご本人も語っておられた)、それが魅力、個性となったように思う。ブラジルではアストラッド・ジルベルトがいる。歌い手は歌唱力という最大の技量以外にもチャームポイントがあれば!アルディの歌(詩)は私的で寂しく、儚い幻想のようなものが数多くあるけれど、そんな曲にあのお声。囁くかのようにか細く、でも伝わるものはとても深く大きい。

何度か引退宣言をされて悲しい思いをしたけれど、マイペースに今も新作が届くアルディ♪セルジュ亡き後、実はエチエンヌ・ダオーの存在、貢献度はとても大きなもの(アルディのファンでもあるダオーはカムバックに一役買っている)。今はもう60代のアルディながら、実にカッコイイ!髪はショートで銀髪に近く、ジャック・デュトロンは夫であり続けているのだ。60年代から今日まで常に素敵なカップル♪


  1. 2007/04/01(日) 09:26:09|
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NICO/THE END(ジ・エンド)

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ニコ:NICO「ジ・エンド/THE END」
1974年


思春期に感銘を受けた(時にあまりにも大きな衝撃、ショックとも)ヴォーカルたち。それらが20年以上経った今も私を捉えている。とても嬉しい事に思う。ニコ、NICOというアーティストも今も私の心の住人であり続けている。音楽の不思議な魅力のひとつ。ご本人はもうこの世には存在されないのだけれど...。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドより先に私はニコのアルバムを聴いた。その最初の出会いはこの「THE END」。日本盤で入手可能な作品はこの再発盤だけだったのだ。音楽雑誌で何となく少しの予備知識やイメージは持っていた。しかし、そんなものはどこかにふっ飛んでしまった、ドカ~ン!っと。直ぐに好きになるとかその様な感覚ではなかったと思う。ただ、今までに聴いたことの無い世界、お声の圧倒的な存在に慄いた。ドアーズの「ジ・エンド」がアルバム・タイトルでありニコがカバーしている。ドアーズのオリジナルの方は、ラジオで「サイケデリック・サウンド特集」のような番組がありエアチェックして聴いていた。でも、ドアーズよりもずっと、ずっと、私はニコの歌う「ジ・エンド」が好きだと思い、今も変わらない。ニコはジム・モリソンと仲が良かったと伝え聞く。追悼の意も込めて愛を込めて自分の歌にしているように思う。

ニコの「チェルシー・ガール」を後で聴いたので、そのギャップに驚いたものだ。ニコのバイオグラフィー的なお話をすればもっと長くなるのでまた追々、各所にて。アンディ・ウォーホルのファクトリーに出入りしていた頃、ヴェルヴェッツの1stアルバムで3曲ニコのヴォーカル曲が聴ける。後に、当時のニコのお話をモーリン・タッカーが、「それはとても綺麗だった。」と回想し語っていた。その頃のニコは、白いパンツスーツと同じく白に近いブロンドの髪の色だった。うっとりする程美しい!ニコが好きになり、古いアルバムや出演した映画(ウォーホルや、フェデリコ・フェリーニやフィリップ・ガレル作品など)を古い年代順に視聴してみた事があった。髪の色がだんだんダークになり、ファッションも黒に。ニコは神秘的な巫女のようにも感じたりしていたけれど、とてもその時、その時に身を委ねながらも、実に素直なアナーキストのように思えた。ミステイクも傍らに。

あのハーモニウムの音色と共に今も目の前で歌うニコの来日が甦る。ニコの英語の発音は歌い易いので勝手に声が出ていた(私はとても歌が下手なのだけれど)。そして、あんなに嬉しい時間をライブで体験した事は数えるくらい。嬉しいという表現は違うかな?見つめながら、歌いながら、最後まで泣いていた。幸せな時間だった。死の少し前の2度目のライブは大きなホールで旧友のジョン・ケールが一緒だった。長い髪を三つ編みにしてスタンドマイクで歌ったニコ。私のこの2回のニコのライヴは永遠だと思う。生きながらも伝説化されがちだったニコだけれど、とても凄いオーラはあるけれど、人間だった(当たり前だけれど)。あの美しいお顔もむくれ、体型も崩れ、ドラッグ漬けのニコを何度も嫌いになろうとした私。なのに、今でもどうしようもない位に大好きで、今も何を書いているのか分からない程。あの三つ編み姿で歌ってくれた「レニー・ブルース」。清楚な綺麗なニコだった。そして、死とずっと隣り合わせに居たようなお方なので、その死の訪れも早かった。自転車に乗ってお買い物をするニコになっていた時間はそう長くはなく...。

ニコの音楽、ヴォイスは祈りのよう。時に厳しくもあまりにも優しい崇高な世界。ニコの本名はクリスタ・パフゲン。ドイツ人だけれどトルコとロシアの血が流れている。そして、ニコは生涯放浪の人のような生活。なので、無国籍な雰囲気が漂っていた。そして、いつも孤独だった(のだと思う)。でも、歌(詩)でその孤独を表現する才能があった。なので、生まれ持った美貌はある時、とても邪魔に思っていたのではないだろうか?...と思うことがある。孤独な傷を負った少女は天から授かった美貌を武器に変える事を早くに放棄した。ニヒリストなカッコイイ戦う姿が浮かぶ。イギー・ポップがパンク・ロックの父だろう!ニコはゴシック・パンクの母的な存在だと思う。ニコは自らの音楽を「ゴシック」と語っていたことを思い出した。



  1. 2006/08/13(日) 09:22:58|
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BRIGITTE FONTAINE/ COMME A LA RADIO(ラジオのように)

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ブリジット・フォンテーヌ 「ラジオのように/COMME A LA RADIO」
1969年 

女性ヴォーカルの会を作りたいって数人のお友達にお話してみると予想外に大きな反応を頂き歓喜したものだった。そして、名前は「BRIGITTE」と迷わなかった。「KATE」でも良かったし「MYLENE」でも良かったけれど、フランスの音楽に興味を持ち始める機会を与えて下さったのはBRIGITTE FONTAINEだから。きっと、お婆さんになっても聴いていると思う。あのお声が大好きなのだ。好き過ぎて何を書けば良いか分からないので思いつくままに。

リアルタイムではない「ラジオのように」をジャケ買いした。伊丹の星電社の片隅に再発盤が新入荷のコーナーに有ったのだ。不思議な悦ばしき出会いは思いがけずやって来た。とにかく「わぁ~!これ買う!!」という感覚でレジに持っていった様に思う。全くその時はこの作品が名盤だということすら知らなくて、さらにフランス人であるということさえ...。針を下ろして音が流れてきた時のあの奇妙な気持ちを何と喩えればよいのだろう...「なんだろう?この音楽は。」「よく分からないけれどかっこいい!」「大人になった気分」こんな印象を持った。そして、間章氏のライナーノーツをじっくり拝読していく内にすっかり私はフォンテーヌに魅了されていたのだと思う。あの文章の持つ意味は私にはあまりにも大きなものだった。

当時、英国を中心としたニューウェーヴの音楽が好きでラジオは毎日聴いていた。雑誌も細かくチェックしていた。16歳の私は学校では音楽の会話の出来るお友達がほとんど居なかった。みんな恋愛や日本の音楽やアイドルのことで楽しそうだった。そんなお話を聞きながらも早くお家に帰って好きな音楽が聴きたい!と思ったり、気分が乗らない会話に時間を費やすより図書館で過ごす事を選ぶ様になってしまった。休日は数人で映画に行く事もあったけれど、次第に私の観たい映画では無いことに忠実な態度を取り始めていた。今振り返ってみて、この時期の私はとてつもない速度で音楽や文学や映画といった今の私の宝物たちに接近して行ったと思える。そして、「ブリジット・フォンテーヌ」という風変わりなアーティストの存在の衝撃はボウイ様との出会い以来の事。私にとってのあるキーであると言える。そうとしか思えない。「ヴァガボンド」という言葉に憧れたけれど私には持ち合わせてはいないと今も思う...。訳詞を読みながら浮かぶ不可思議な幻想。ラディカルであり猥雑であり、でもあの優しさは今も私の心に必要なのだ。一等好きな作品は「III」。「はたご屋」ばかりを何度も繰り返し針を置き聴き入った。このままだと狂ってしまうかも?というくらいにその世界に引き込まれてしまった。正しく声の美力なり!というかこのお方は魔力の様だ。今も御大フォンテーヌは健在だけれど、あの空気感はあの時代のものだったのだと思う。誰にも時代の空気感は再現不可能なのだ。特にあの様な時代は...なので一層憧れるのかもしれない。

アレスキーやジャック・イジュラン、ピエール・バルーにも傾倒していく中、セルジュに出会い、バルバラ、はたまたカトリーヌ・リベロに出会う。映画ではゴダール!文学はランボーからネルヴァルに向かっていった。この選択肢が今の私に繋がっている大切なキーだと思うし、もうどうしようもない後戻り不可能な組み込まれてしまった何かの様にも。たかが私個人の事ながら、音楽やある一曲が人生を変えるきっかけになる事を私は感じる事が出来たのだ。良かったのか?悪かったのか?はどうでもいい。フォンテーヌのお声は今も時に少女の様に可愛らしく響き、かつ厳しいアナーキストな面持ちも消えてはいない。過激な優しさをこれ程までに表現出来るヴォーカリストを私は知らない。シャンソンというカテゴリーからは大きくはみ出した異端児フォンテーヌ。そんなカテゴリーを軽く飛び越えるフォンテーヌを永久に愛す。



  1. 2005/01/03(月) 09:18:41|
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ホープ・サンドヴァル:HOPE SANDOVAL /MAZZY STAR

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ホープ・サンドヴァル:マジー・スター
「MAZZY STAR/ SO TONIGHT THAT I MIGHT SEE」
1993年

英国を中心にヨーロッパの音楽たちに魅了されてきた私。でも、ニューヨークだけは特別に好きな米国の宝庫だった。それは洋楽に目覚めて直ぐの事なので理由もきっかけもよく分からない。思い当たるものと言えば、一枚のパティ・スミスの写真とアンディ・ウォーホルを取り囲む人々への関心が直感的なものだったこと。そして、ボウイとの交友関係ともリンクしていたルー・リードやニコ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽に出会った。そして、VELVET MOONという店名の由来をよく訊かれるけれど、当然!VELVET UNDERGROUNDが居る。

「ヴェルヴェットの子供達」と呼ばれるフォロワーは今も世界中に存在し継承されている。そんな音達に出会うと嬉しく、そしてすんなりと聴き入る事が出来る。理由など分からないけれど。マジー・スターというバンドに出会ったのは1990年の1stアルバム「SHE HANGS BRIGHTLY」。その前身バンドとなるオパールから引き続いて、その気怠いサイケデリックな妖気は自然と心地良く入ってきた。ギタリストのデビッド・ロバックのギター音色が好き。そして、決定的なのは紛れもなくホープ・サンドヴァルのヴォーカルにある!と断言出来る。この人達の作品リリースはとてもインターバルが長い。でも、その間ずっとこれまでの作品を聴き続けて来たし、これからもそうだと思う。(ケイト・ブッシュの新作を待てるのだから数年位どうって事は無いのだ。)

オパールのケンドラ・スミスも好きなヴォーカリストだけれど、サンドヴァルのお声には刹那的な甘い蜜の香気が漂いたまらない。私は所謂「癒し系」という言葉が好きでは無い。でも、音楽や芸術を愛する人々はそれらの中に、それらとの出会いによって癒される事があるとは思っている。私も私自身の心の雑音が静寂さを取り戻す時の音楽、それを求める時の音楽が有るように思う。そして、サンドヴァルのお声を聴くと安堵する。時に無性に涙が止まらない時もあるけれど、それでも彼女のお声は沁み込んでくるのだ。魔性のエーテルだと思う。倦怠と寂しさを伴いながらも優しいのだ、とても。ゆっくりと内部への瞳孔はやや覚醒的で夢見心地に。元気で明るい音楽では決して無い。二者択一(オルタナティヴ的)音楽であり暗くて嫌いだと思う方も居られるであろう。でも、私は彼等の音楽、サンドヴァルのお声を求めてしまう。

此処では2ndアルバムの「SO TONIGHT THAT I MIGHT SEE」を選んでいるけれど、3rdアルバムの「AMONG MY SWAN」も大好き!そして、2001年にサンドヴァルが新しく始めたプロジェクト:HOPE SANDOVAL & THE WARM INVENTIONSは私が2000年代に入ってリリースされたどんなアルバムよりも聴き続けているお気に入りアルバム。この作品はMY BLOODY VALENTINEのコルム・オコーサクとの共同プロジェクトで、JESUS &MARY CHAINのカバー曲や、英国アコースティック・ギターの大御所!バート・ヤンシュも参加した曲まで収録されている。

サンドヴァルの甘い気怠さはお声だけではなく容姿や表情にも充分なまでに。なので、さらに好きなのだと思う。物憂い翳りが好きだから。私なりの好き勝手なお気に入りの女性ヴォーカル系譜らしきものが脳内で縺れ合いながら存在する。その中に、このホープ・サンドヴァルという美しき歌姫はニコからロベールにまで繋がるものとして位置している。これらのお声達は私の脳内から胸の奥底に住む大切な美声なのだろう。



  1. 2004/10/11(月) 09:14:15|
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カトリーヌ・ランジェ:CATHERINE RINGER/LES RITA MITSOUKO

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カトリーヌ・ランジェ:レ・リタ・ミツコ
「マーク&ロバート/LES RITA MITSOUKO / MARC & ROBERT」

NEW WAVEという80年代のシーンの真っ直中にいた私は、今でも当時の鮮烈なる出会いが何処かに住み続けている。英国の音楽に留まらず他のヨーロッパから、N.Y.からと貪欲に探し求めていたものだ。ちょっと変わった音楽たちを"愛しのへんてこりん"と呼んでいる。そんな中にこのフランスのレ・リタ・ミツコとの出会いもあり、彼らの魅力は色褪せることなく現在進行形で大好きなユニットなのである。ゲランの香水からその名前が付けられたというレ・リタ・ミツコは、素晴らしきヴォーカリスト!カトリーヌ・ランジェとフレッド・シシャンの夫婦ユニット。彼らのファッションや信念の強い言動にもとても共感を受ける。カッコイイ!カップルだなって思うのだ。

さて、カトリーヌ・ランジェのヴォーカル!音域の広い多様な表現力。高音で歌う曲も有れば低音で歌う曲も。それらの全てが色彩豊かなカラフル・ポップなのだ。彼らの音楽は様々なエッセンスが入り混じっていて、その無国籍風な楽しさがいつも嬉しい。エレポップ、シャンソン、ロック、ファンク、ラテン音楽的な要素をとても上手く取り入れながらも、自らの世界観を築いていると思う。どの曲でも、カトリーヌの表現者としての存在感は凄い。

1982年にシングル・デビュー。この「マーク&ロバート」は1988年の3rdアルバムで敢えてこの作品を此処で選んだのは、スパークスと共演しているから!デュエット曲も3曲収録しているのだ。この共演は飛び上がる程嬉しかった。初期からレ・リタ・ミツコのお二人が影響を受けてきたアイドル的存在としてスパークスの名前が挙げられていたものだ。デヴィッド・ボウイやイギー・ポップ、エディット・ピアフの名前と並んで。そう言えば、ボウイやイギーのファンであるレオス・カラックス監督の「ポンヌフの恋人」の主題歌はこのレ・リタ・ミツコだった。ピアフはもう居られないので、後彼らとの共演が待たれるのはボウイだけという現在。その夢の共演を待ち遠しくしているのは私だけでは無いはず。

カトリーヌ・ランジェはどの様な曲でも自分の世界で歌い上げるだろう!そんな柔軟性と表現豊かな歌唱力の持ち主なので。アコースティック・ライヴの作品でもそのヴォーカルの存在感を再確認したものだ。彼らは今も自らの世界を産業ポップに陥る事無く、かつポップの持つ魅力を充分に発揮している貴重な存在だと思う。ジャン=リュック・ゴダール監督は「右側に気をつけろ」の中で、スタジオでの彼らを映し出した。ゴダールはやっぱり凄い!嘗て「ワン・プラス・ワン」であの時期のローリング・ストーンズのレコーディング風景を撮ったのも驚異だと思う。

彼らの素敵な頑固さの様なものが好き。それだけの実力がある方々なのでこれからも怯まない彼等から目が離せない。セルジュ・ゲンスブールを批判する事も有ったけれど、ゲンスブールの業績に敬意を表することも忘れない(「システム D」や「ゲンスブール・トリビュート」でカバーも聴ける)。そんな潔さも気持いい。もう20年も経ったけれど、作品を追う毎にますますレ・リタ・ミツコ、カトリーヌ・ランジェのヴォーカリストとしての力量、表現力に魅せられ続けているのである。



  1. 2004/09/07(火) 09:10:55|
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私の好きな歌姫★ジュリアンヌ・リーガン:JULIANNE REGAN /ALL ABOUT EVE

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ジュリアンヌ・リーガン:オール・アバウト・イヴ
「スカーレット・アンド・アザー・ストーリーズ/ALL ABOUT EVE / SCARLET AND OTHER STORIES」

ベティ・デイビス主演の「イヴの総て」を由来とする「ALL ABOUT EVE」というグループが1985年にデビューした。ポジティヴ・パンクなるちょっとしたブーム。バウハウスはその元祖、そのまた元祖にはデビッド・ボウイと遡る事も可能だと思う。当時はシスターズ・オブ・マーシーがダントツ!に好きだった。あの地を這う様なアンドリュー・エルドリッチのヴォーカルは唯一無二なお声だった。そして、そこから派生したのがミッション。オール・アバウト・イヴはそのリーダーであるウェイン・ハッセイのプロデュース作品で一躍話題になって行った。X-マル・ドイッチュラントやジーン・ラブズ・ジザベル人脈からなるインディーズ時代のシングルは、荒削りながらも当時の「4AD」のアーティスト達に感じられた様なある種の耽美な世界を漂わせていた。勿論、すんなりと引き込まれてしまった。

それから、トントンとメジャー・デビュー。1stの「イヴの序曲」も好きだけれど、この2ndの「スカーレット・アンド・アザー・ストーリーズ」はさらに好き。それは、ジュリアンヌの存在がさらに全面化し優しいアコースティック感覚、美しい旋律に溶け込むようなジュリアンヌの清楚でしっかりとしたヴォーカルが際立っていると思うから。彼らはブリティッシュ・ロックの正統派的な流れを汲んでいる。

私にとって、ジュリアンヌ・リーガンはケイト・ブッシュとミレーヌ・ファルメールの中間に位置する様な存在なのだ。大好きな曲の一つである"DECEMBER"が決定的だった(あまりにも個人的な歓び!)。端正な美しい顔立ちを際立たせるかの様な赤い口元。60年代のサイケデリック、英国ならではのトラッド・フォークの芳香、枯葉の似合う妖精、ラファエル前派の絵画のモデルの様なジュリアンヌだと!

可憐なワンピースやロングスカート姿でギターやタンバリンを持つジュリアンヌはとても自然に映った。その様なスタイルの対極に位置する麗しの女性達も好きだったけれど(例えばマラリアのメンバー達の様な)。ジュリアンヌのお声には毒が無い。私は猛毒を持つような女性ヴォーカルにも惹かれるけれど、この正統さが大切なのだと思う、このグループには。奇をてらう事は何も無い。意外だったのはジュリアンヌの突然のポップなソロ・ユニット:MICE(マイス)の登場だろうか?ちょうど、VELVET MOONをオープンした頃の作品で贔屓目たっぷり!に大推薦していた。ブリット・ポップという括りでも好盤であったと思う。独特の個性的な歌唱法でもなく、決定的な声の個性でも無い。きっと、そこがジュリアンヌの魅力だと思う。優美なサウンド、彼らの音楽を聴いていると19世紀の英国にまで行ける。こんな美しい旋律と共にジュリアンヌのお声が時空を無効にして下さるのだ。

80年代に活躍したグループは随分消滅してしまったけれど、オール・アバウト・イヴは健在だ。一時、解散状態だったけれど復活してくれて嬉しい。私の好きな"英国"が詰まったグループであり、その歌姫であるジュリアンヌ・リーガンは憂愁の追憶でもある。



  1. 2004/09/05(日) 09:07:18|
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