
[私の好きな詩]Joining You:『ジョイニング・ユー』
アラニス・モリセット:ALANIS MORISSETTE/Supposed Former Infatuation Junkie
あなたと私はまるで4歳児みたい
何事についてもなぜかどうしてか知りたがってる
意のままに自分たち自身を明らかにし思ったことを言いたがってる
そして決してつまらないことは言わず
直感的で 激しく質問し 神様を見つける
私の苦しめられた先導者
私たちは同じ意見の仲間たちを見つけなくては
もし私たちが彼らの有罪判決なら
もし私たちが彼らの突出物なら
もし私たちが私たちの偏執なら 私はあなたに加わってるわ
もし私たちが私たちの収益なら
もし私たちが私たちの妄想なら
もし私たちが私たちの苦悩なら 私はあなたの仲間よ
私たちには熟考が必要 ほんとに素敵な思い出が必要
もうちょっと頻繁に気兼ねなく電話してくれていいのよ
★アラニス・モリセットのこの曲が得に大好き。意外に思われるかもしれない、アメリカのとってもメジャーなお方(グラミー賞受賞者だし)。私の好きなヴォーカリストはメジャーもマイナーも無関係なのだから。マドンナのレーベルからリリースされた1998年の2ndアルバムの中の曲。この曲は、アラニスのある友人のために書いた曲だという。”私たち”と幾度も繰り返され、その響きは力強くも悲痛に響く。でも、前を向いて歩くことへの賛歌のようにも私には聞こえる。アラニスはロックからフォーク調の曲などサウンドも一言では喩えられないけれど、歌詞がとても好き。言葉をとても大切にしているお方でもある。
「自分の感じていることを言葉で表したり、自分の目で見て確かめてみないと心の痛みや悩みを癒すことはできないでしょ?私は自分が感じていること全部を書き留めて、一歩離れてからそれを読むのが好きなの。」
「言葉が何よりも最優先で、言葉は言葉を高めているの。私の曲で優先することは常に、”自分の言いたいことを言う”ということなので、曲のフレーズのせいで言いたいことが言えなくなるなんてことは絶対にないわ。」
このように語るアラニスが好き!溢れる言葉、はみ出した字余りなような複雑な曲たちは彼女の個性。楽観的であり悲観的である。私はとてもそれらの詩に共鳴するものを感じてしまう。
- 2007/10/30(火) 09:46:56|
- 私の好きな歌姫・女性ヴォーカル|
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 | ふたりのトスカーナ (2000年・イタリア映画) 監督:アンドレア・フラッツィ、アントニオ・フラッツィ 原作:ロレンツァ・マッツェッティ 脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ 撮影:フランコ・ディ・ジャコモ 音楽:ルイス・バカロフ 出演:イザベラ・ロッセリーニ、ジェローン・クラッベ、ヴェロニカ・ニッコライ、ララ・カンポリ、バルバラ・エンリキ、ジャンナ・ジャンケッティ |
★
「クララの森・少女愛惜」で少しふれています。原作ともにとても好きな作品なのです♪
- 2007/10/30(火) 07:10:53|
- 少年・少女映画(『クララの森・少女愛惜』へ!)|
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 | ふたりのトスカーナ/IL CIELO CADE 2000年・イタリア映画 監督:アンドレア・フラッツィ、アントニオ・フラッツィ 原作:ロレンツァ・マッツェッティ 脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ 撮影:フランコ・ディ・ジャコモ 音楽:ルイス・バカロフ 出演:イザベラ・ロッセリーニ、ジェローン・クラッベ、ヴェロニカ・ニッコライ、ララ・カンポリ、バルバラ・エンリキ、ジャンナ・ジャンケッティ |
映画監督でもあるイタリアの女流作家ロレンツァ・マッツェッティ(ロレンツァ・マゼッティ)の自伝的小説『天が落ちてくる』を映画化した『ふたりのトスカーナ』。監督はイタリア・フィレンツェ出身の双子の兄弟アンドレア&アントニオ・フラッツィで、この作品が長編デビュー作。イタリアはローマに一度だけ行ったことがある(トレビの泉にコインを投げてきたので再び行けるのだろうか...)。映画が大好き!色々なことを学び考えさせられる。好みの作風は多種に渡るのでその中で色々と連鎖し、また原作やスタッフや俳優たち...好きな世界が少しずつ広がりながら心や頭に浸透してゆくようだ。この作品の舞台となるイタリアのトスカーナ地方は、いくつかの映画の中で知ることができたとても美しい緑の自然の景色。感動的だ!お話は、第二次世界大戦下のトスカーナ地方、両親を交通事故で失い孤児となってしまったふたりの少女姉妹は、伯父夫婦のもとに引き取られる。そのひと夏の出来事と同時に、戦争による悲劇をも情感豊かに描いたドラマ。姉ペニーの目を通して描かれ、両親を亡くした幼い姉妹ながら、美しい自然の中で健気に生きる姿。過酷な厳しい現実(時代)の中でペニーの愛らしい微笑みが脳裏に焼きつき涙に溢れながら、私も微笑返しをしてしまう。かのフェデリコ・フェリーニが、「この本を読んだ時ほど、熱狂的にのめり込み、楽しんだことはめったにない。」と語り、イタリア三大文学賞のひとつのヴィアレッジョ賞を受賞。世界中で翻訳されこうして私も原作を読むことができる。可愛い子供たちと、伯母カッチェン・アインシュタインに扮するイザベラ・ロッセリーニがとても素晴らしい!そして、まだ幼く姉にべったりの甘えん坊の妹ベビーは、両親の死すらよく分かってはいない。なので、ユダヤ人である伯父達にナチスの手が迫り悲劇を目の当たりにしてさえも...。
あたしとベビーはヴィラにいった。焼けた屋根の梁のあいだから射しこむ空の光を、割れた鏡が映していた。みんなはそこにいた。おじさまも。
ベビーはおじさまの上にかがみこんだ。おじさまに話しかけた。
「返事しない」 「だれも返事をしないわ・・・・・」
そして、血で汚れた手で涙をふきながら、泣き叫び始めた。わたしたちは黄金の夜明け
大気と光に向かって元気に育つ
わたしたちはイタリアの子ども
さらに偉大なイタリアを望む
わたしたちの小さな心
小さいけれど愛で燃える
声を震わせて鳴く小鳥のように
神よ、統帥をとわに救いたまえ《ペニーが”あたしが一番好きな歌”と語る「イタリア少女団の歌」より。》
- 2007/10/30(火) 07:09:16|
- 戦争・ホロコースト|
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<質問>「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」といえば、『プリティ・ベビー』を見ながら、キースキャラダイン扮する写真家ベロックと
ブルック・シールズのプリティ・ベビーの関係から
ルイス・キャロルとアリス・リデルの関係を想起せずにはいられなかったのですが、当然ながら意識的に関連づけて描かれたのでしょうか。
<
ルイ・マル>もちろんです。そう、それは最初からずっと考えていました。実際、ベロックが撮った少女娼婦の写真は
ルイス・キャロルが撮った少女の写真によく比較されるし、酷似しているのです。ベロックの大部分の写真は若い娼婦たちの写真ですが、その写真集のカバーにもなっている全裸の少女の写真は出色のすばらしさで、少女写真家の第一人者である
ルイス・キャロルの写真をしのぐ異様な魅力と不安にみちた美しさです。
『プリティ・ベビー』や、以前の
『地下鉄のザジ』や『ブラック・ムーン』などのお話、撮影担当の素晴らしき!スヴェン・ニクヴィストのことなどにも触れながら、このように語っておられ、”やっぱり〜♪”と確信を持て嬉しくなったのでした。
※
ルイ・マル作品は好きなものが多く、また「ブラック・ムーン」他についても沢山浮かびますので、追々のんびりと感想をと思っています♪

超美少女のバイオレット♪
- 2007/10/28(日) 06:49:51|
- 映画人語録・好きな台詞|
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ジェーン・バーキン/JANE BIRKIN
祝☆来日!とジェーン特集中の私(『BRIGITTE』にて)。”歌う女優”として今も続けているもうすぐ61歳のジェーンは素敵♪多くの女性たちが憧れる、その生き方に。私は何が好きかというと、先ずはお声!私が高校生の頃(CDなんて存在しない頃)は、今のようにジェーンの作品が安易には買えなかった、廃盤状態で。その上、出演映画もレンタル屋さんにもほとんど無かった(『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』を置いているレンタル屋さんがあると教えてもらい観たのは大学生時代。それもポルノ的なジャンルに置かれていたらしい。私は未成年だったので友人に借りてきてもらったのだった)。動くジェーンのお姿が観たい!という気持ちが大きかった(ほとんど!)ので、その時、その監督や音楽が後に大好きになるセルジュ・ゲンスブールだということも、その時は気に留めなかった。よく分からない映画だったけれど、男の子みたいな短髪とペチャンコの胸や長身で細い体型(痩身だけれど骨太で筋肉質)、大きな口元が印象的で”可愛いなぁ〜♪”と観ていたように想う。レコードは『バビロンの妖精』を最初に買った。新譜として発売されている時だったもので今もレコード棚のジェーンのコーナーに並んでいる(大好きなヴォーカリストたちの多くは個人的な棚もVelvetの棚にもあるのが基本みたい)。いつか手離す時が来るのだろうか...。
フレンチ・ポップス好きの友人は多くは無いけれどいる。セルジュが大好きなその友人はジェーンは聴くけれど、”ずっと聴いてると下手過ぎて疲れる”と言う。私は”もっと下手なヴォーカルも好きだから平気♪”と言い返す。こんな会話を楽しむ♪80年代のNew Waveたちには”ヘタウマ”と呼ばれる愛しき歌声が色々ある。それらの音楽やフランスの音楽、もっと古いシャンソンやプログレなどを平行して聴くようになっていった、今も。下手という感覚は私はあまり無いように想う。上手いなぁ〜!と想うことは度々あるけれど。そんなところが女性ヴォーカルの魅力で、様々なお声の肌理を感じて心地よいものを好むだけ。声量が無いように最初は感じていたのだけれど、それはセルジュの歌唱指導(演出)でもあり、実はジェーンはもっと上手に歌えたし声量も乏しいわけではない。なので、今でも大きなホールでライヴをする。フランソワーズ・アルディはライヴをしない(お聴きしたいけれど!!)。本来のお声の細さ、声量の乏しさ(そこが魅力!)という物憂げさでは、やはりアルディだと想う。どちらも好きなヴォーカリストだけれど、アルディはご自分で作った詩を歌い、あの世界が好きなのでアルディが大好き!比較など普段しないけれど、訊かれるとアルディの方がより好きだと答えるというだけのこと。
- 2007/10/27(土) 09:42:40|
- ジェーン・バーキン|
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 | 少女ムシェット:MOUCHETTE (1967年・フランス映画) 監督:ロベール・ブレッソン 製作:アナトール・ドーマン 原作:ジョルジュ・ベルナノス 撮影:ギスラン・クロケ 音楽:クラウディオ・モンテヴェルディ、ジャン・ウィエネル 出演:ナディーヌ・ノルティエ、ポール・エベール、マリア・カルディナール、ジャン=クロード・ギルベール、ジャン・ヴィムネ |
重く悲惨で残酷な僅か14歳の生。
ロベール・ブレッソン監督が『田舎司祭の日記』の原作者でもあるジョルジュ・ベルナノスの原作を今作でも映画化したもの。
14歳の少女ムシェット(ナディーヌ・ノルティエ)はどうしようもなく救いがない。どうしてここまで!という程。貧困や苦悩なら誰にも大なり小なりある。自分だけが世界で一番不幸者のように思い込むこともあるだろうけれど、探せば救いは見つかることが多いと私は信じている。でも、このムシェットに関してはもう孤独で死しか救いがなかったのだろう...と思えてしまう。飲んだくれの父、病床の母、まだ小さな乳離れしていない赤ん坊の弟、そして兄と貧しい生活を送っている。父はまったく働く気持ちもなく息子にお酒の密売をさせている。何もしないこの父はアル中で凶暴でムシェットに対して信じられないほどの八つ当たりをする。そんな環境(家庭)から学校へ通うけれど、これまた、学校でも級友や教師からさえ嘲笑いの対象なのだ(もう憤りとやるせなさで痛い!)。お友達もいない孤独なムシェットが、移動遊園地のバンピング・カーで遊ぶシーンだけは楽しそうで好きなシーン。後ろから男の子がバンバンと車をぶつけてくるのだけれど、相手にしてもらっていることに喜びを感じているのだ、いじらしい少女の心。でも、まだまだ不幸は襲ってくるのだ。雨の日の森で密猟をしている男性アルセーヌは森番を殺したと言い、そのアリバイ工作をムシェットに頼む。てんかん持ちで発作を起こしたアルセーヌが落ち着くと、その場にいるムシェットを奪ってしまう...。怖かっただろう...とても!逃げ出すように家に戻り母にだけは伝えたかったけれど、弟にミルクを飲ませなければならず、父も兄もおらず、母は死んでしまう。もう、これでもかというくらいの痛めつけである、悪意の大人たちや社会による。そして、老婆に白いモスリンのお洋服を貰い、崖(土砂)の上から下の池に向かってそのモスリンを体に合わせて転がってみる。そして、また上まで上り、今度は加速をつけて転がってみる。そして、再度さらに加速をつけて転がりドボン...と池の音と白いモスリンが浮かんでいる...ムシェットの死の描き方まで、冷徹な眼差しでこの冷たさはヒリヒリと突き刺さり胸が痛い。台詞もほとんどないモノクロームな映像。音と冷厳な視線の徹し方。
監督はオスカー・ワイルドの言葉を引用して語っていた「普通の残酷さは単純に愚かさから生じています。それはイマジネーションが完全に欠乏しているからです。」と。野兎が狩られるシーンなどもそういう残酷さのひとつのようだし、ただ一人だけ優しい食料品店の女主人がコーヒーとパンをムシェットに与えてくれる。ムシェットがカップをひっくり返してしまった途端!掌を返したように罵声を浴びせるシーンも怖かった...こういう人いるように思う。愚劣な大人たちや社会の犠牲者のような14歳の少女の死。これはある意味、殉職者のようにも思える。至高の映像詩人のような
ロベール・ブレッソンの映画は重く厳格なものが多いけれど、私は好きなのだ。ベルトルッチ監督とゴダール監督はこの映画を絶賛していたそうだ。ゴダールは『ウィークエンド』でジャン=クロード・ギルベール(アンヌ・ヴィアゼムスキーも)を起用している。ベルトルッチは『ドリーマーズ』で引用している。ベルイマン監督は『さっぱり、分からん。最悪だ。』と仰ったという。賛否両論の作品であり、全く商業的な世界から遠くにいる(ブレッソン監督というお方がそうなのだろう)古い作品をこうして私は見てなにかしら考えることができる。考える映画は本来好きなのだと思う(お腹を抱えて笑える映画も勿論好きなのだけれど♪)。

学校でのムシェット★
- 2007/10/20(土) 19:21:37|
- 少年・少女映画(『クララの森・少女愛惜』へ!)|
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久しぶりにBSにて遭遇。
マリア・シェルを初めて知った映画はこの『居酒屋』が先か『女の一生』が先だったのか...よく覚えていないけれど似た時期に知り得たことを幸運に思う。そして、ルキノ・ヴィスコンティの『白夜』、デヴィッド・ボウイのお母様役の『ジャスト・ア・ジゴロ』はシドニー・ローム(アラン・ドロンとの共演作『個人生活』で知った女優さま)、キム・ノヴァク、マレーネ・ディートリッヒとの共演作。弟のマクシミリアン・シェルと共演した『オデッサ・ファイル』、ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』、ロミー・シュナイダー、ミシェル・ピコリ、マチュー・カリエール、ヘルムート・グリーム達との『サン・スーシの女』、超豪華オールキャストでの『さすらいの航海』...
マリア・シェルは年老いても脇役でも、ヨーロッパ映画でもハリウッド映画でも、
マリア・シェルのシーンを刻んだお方だと思っている(贔屓目いっぱいかもしれないけれど)。美しく演技力もある本物のアクトレス。美しい容姿だけではなく、あのブルー・グリーンな瞳や表情豊かな演技に魅了されてきたように思う。それにしても、お若い頃の主演作、代表作にはなんと耐える健気な女性を数多く演じているのだろう!どんな境遇でも哀しみと希望をも忘れないあの笑顔は美しすぎる。ところが、『居酒屋』のラストは目も虚ろな酒浸りのジェルヴェーズの姿が残る。ここでは、もう希望はない。でも、少し大きくなった娘ナナはリボンを首元に付け颯爽と男の子たちのもとに駆けてゆく...『娼婦ナナ』へと続くことを示唆している。この少女は『シベールの日曜日』の名子役!パトリシア・ゴッジの実の姉のシャンタル・ゴッジ♪
エミール・ゾラの原作の映画化。監督は
ルネ・クレマン。徹底したリアリズムというのだろうか、細かい部分まで当時の労働者階級の人々の生活を表現しているのだと思う。
マリア・シェルはどう考えてもとんでもなく素晴らしい!映画の中で食卓でのお食事の場面などが好きなようで、よく観た後、お腹が空いた気がして同じものを食べたくなったりする(食いしん坊♪)。ここでも、晩餐会のシーンは秀逸で、がちょうのお肉を食べるシーンがあるのだけれど、それぞれ食べ方が違う。滅多に食べることのできないご馳走なのだ。晩餐会の主役であるジェルヴェーズは笑顔でそのお肉を貪るように食べる...生き生きと伝わるものがある。ナイフとフォークもテーブルにはあるけれど使わない。
自然主義文学の原作を見事に映像化した名作。いつまでも心に残る映画なのです。

ジェルヴェーズと息子たち♪
- 2007/10/14(日) 02:58:33|
- 文芸・文学作品|
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 | ニコ・イコン:NICO ICON 1995年・ドイツ映画 監督:スザンネ・オフテリンガー 出演:ニコ、 エディット・ブローニュ、アリ・ブローニュ 、ジョン・ケイル、ティナ・オーモン、ジャクソン・ブラウン、ニコ・パパタキス、アラン・ワイズ、ポール・モリセイ、ビリー・ネーム、ヴィヴァ |
もうすぐ、
アラン・ドロンが出演された番組の放送日。26日に下の記事を綴った後から私の心がざわめき始めた。番組を観てからにしよう...などと思ったりしていたのだけれど、取り合えず今の気分を少しばかり。私が好きなものは繋がり過ぎていて時に、このように複雑な心境になることがある。番組の日程を調べたニュース記事の中に以下のような文章を読み連鎖される個人的な感情。
「調理中のトークでは「私は女性のおかげでこの世界に入れました」などと、往年の二枚目スターらしく女性の話題を連発。若さの秘訣について木村拓哉(34)から聞かれると、「若くいるには女性と付き合うこと」と返し、木村が「はい!」と即答する一幕もあった。」(IZAニュースより)
それまで、ウキウキしていた私はだんだん滅入ってしまって泣いてばかりいた日があった。今は随分と頭の中も気持ちも落ち着いて来てはいるものの、まだ...。
アラン・ドロンは私が最初に好きになった外国のアーティスト、それも家族との想い出が付随している。それは小学生の中学年頃からのこと。それから年月を経て音楽が大好きになってしまった。ジョン・レノン、デヴィッド・ボウイというとんでもないアーティストを知ったことから始まる。そして、その早い時期に
マリアンヌ・フェイスフルと
ニコを好きになり、これらのアーティスト達は今でも大好きでたまらない。ジョンと
ニコはもういないけれど。
アラン・ドロンも好きで
ニコも好きな私はどうすればよいのだろう(どうもしなくてよいのだけれど)...。ざわめく心は映画『
ニコ・イコン』を再見する衝動へと向かわせた(向かったのだろう)。”もう一度、よく観て!”と誰かに呼ばれたかのように(私の心の中のもう一人の私なのだろうか...こういう偶然的なことは理屈では言えない)。
このドキュメンタリー映画は
ニコの死後に製作され、日本では1997年に公開された。小さめのその映画チラシ(どこかにファイルしてあるけれどまだ探していない)を頂いた時から楽しみにしていた。そのチラシの中に、町田康(町蔵)のコメントが載っていた。「
アラン・ドロンはブタだ!」と。この言葉はショックだったけれど、直ぐに連想されることにより観る前から複雑な面持ちで鑑賞した映画となった。
アラン・ドロンの大ファンのお方は男性も女性も多い(私もだ)。
ニコもロミー・シュナイダーも優劣などつけられない位に大好きな私はちょっと違うのかも..。
アラン・ドロンのヒストリーの中で多くの
アラン・ドロン・ファンのお方達は一行程の記録のように
ニコの名が掲載されるのがほとんど(また、
ニコが大好きお方達はドロンを毛嫌いされる方も多い)。でも、私はとてもとても大きな意味を持つ。ドロンの映画に嫌いな作品は一つも無いのは正直な気持ち。そして、
アラン・ドロンの非情さ(これはある種の美学でもあるのかもしれないし魅力だとも思う)が作品の中で冷ややかにリアルに伝わるあの空気に通じるものなのだろうか...などと考える。
アラン・ドロンのこの喜ばしき出演記事から繋がり絡まる頭の中を整理し、自分の日記としても連想されることなどを綴っているようだ。『あの胸にもういちど』で共演した
マリアンヌ・フェイスフルは、同じ時代を生きた
ニコに何かしらの親近感を持って過ごしてきたけれど共演することはなかった。でも、「Song for NICO」という
ニコに捧げた曲を歌われた。その楽曲が素晴らしいだけでなく、私の好きな人達のこれらの宿命的な出会いなどを想い沁み入る曲でもある。その歌詞の中に以下のようなものがあり、その歌詞から私はまた複雑な納得のいかない心境へと導かれ、今も変わりはしない。
And now she doesn't know
What it is she wants
And where she wants to go
And will Delon be still a cunt.
Yes, she's in the shit, though she is innocent.
アラン・ドロンは未だに
ニコとの間の息子アリを認知してはいない。それはそれ...。非情さという点で、ドロンは実の自分の母親(エディット・ブローニュ)に”赤ん坊(アリ)を選ぶか俺を選ぶか”と究極の選択を問う。そして、ドロンの母は、ドロンはもう立派に自分で生きていけるけれど、この小さな赤ん坊はひとりでは生きてゆけない。
ニコは聡明で美しい娘だけれど、あのこに子供は育てられないと、孫アリ君を育てることを選んだ。よって、それ以来、ドロンと母との関係も絶縁された。そこまで封印したい理由はドロンにしか分からないこと。
ニコは結婚したがっていたけれど極度のジャンキーなボヘミアンなお方(最期はコカインを買い求めて死んだという言及もあるけれど、この映画の最後に成長したアリ(アリ・ブローニュ)が登場しコメントがある。
ニコの最期の僅かな期間だけはドラッグを絶った生活だったと。私も本でそのように読み、1986年と1988年の2回の来日公演での
ニコの違いは美しい想い出でもあるので、最期までハッシシを買い求めて...という説は信用してはいないのです)。
※他にも色々繋がり過ぎるので、
BRIGITTE内のコンテンツのあちこちで追記予定です。全て私の想いですので、間違ってることや何かご意見がございましたらお気軽にコメントなどください。よろしくお願いいたします♪
- 2007/10/04(木) 11:36:59|
- ニコ:NICO|
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