★映画の宝石箱★美しき菫色の刻に愛を込めて☆ナルキッソスの鏡あるいは自惚れ鏡♪

楽の音は、小声で歌われる歌詞が消えても思い出の中でこだまする。by パーシー・ビッシュ・シェリー

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フランソワーズ・アルディ:/La Maison Ou J'ai Grandi 「想い出の家」

2007-06-30.jpg

[私の好きな詩]La Maison Ou J'ai Grandi:『想い出の家』
フランソワーズ・アルディ:FRANÇOISE HARDY/La Maison Ou J'ai Grandi
1966年

思い出を振り返ってみると 
小さい頃、住んでいた家を思い出すの
沢山のことが蘇ってくるの 
庭にあったバラの花を思い出すわ


木々があった場所は、今は街になっている
そして、私がとても好きだった家や花は もうなくなってしまった
私の友達はよく笑う人たちだった 友達と仲良く一緒に遊んでいた
でも、人生の中では、全てに終わりがある


そして、私は目に涙を浮かべて、去らなければならなかった
友達は私に聞いた 「どうして、泣くの?
よそに出て行くのは同じ場所に残ってるよりいいことだよ。
君は、此処では見られない 色々なものを見つけるだろう。
街がまるごと眠りについて 夜は光の中にあるだろう。」

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  1. 2007/06/30(土) 09:39:08|
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蝶の舌

蝶の舌 蝶の舌:LA LENGUA DE LAS MARIPOSAS
監督:ホセ・ルイス・クエルダ 出演:フェルナンド・フェルナン・ゴメスマヌエル・ロサノ、ウシア・ブランコ、ゴンサロ・ウリアルテ
(1999年・スペイン映画)

大好き!な映画で覚悟して数回観ている。2年程前にスペインの歴史に関するものを読んでいた時期がある。それは、この映画の影響もあり、以前からよく知らないスペイン内戦について知りたいと思ったから。何故なら、その事実を背景とする作品に好きな映画が色々あったこと、何故、ルイス・ブニュエル達は亡命していたのかとか...あまりにも無知だったので。そして、この世界最初の代理戦争の史実と深い傷跡に、予想以上に私は落ち込んだというか、暫くスペイン映画を観れないような気分になったものだ。

久しぶりに、この『蝶の舌』を再見し、やはりラスト・シーンで胸がいっぱいになるのだった。ゴレゴリオ先生役のフェルナンド・フェルナン・ゴメスは『ミツバチのささやき』以上に私の中で焼きついている作品。素晴らしい!そして、喘息持ちの体の弱い8歳の少年モンチョ役のマヌエル・ロサノ君は2500人もの中から選ばれデビューした少年。何ともいえない愛らしさで初々しい。その兄や両親の存在感も充分。そして、音楽は監督でもあるアレハンドロ・アメナバルで、原作はマヌエル・リバス。

ホセ・ルイス・クエルダ監督はこう語っていた。
「製作中、ルイ・マルの『ルシアンの青春』とロッセリーニの『ドイツ零年』がいつも私の心を離れなかった。『蝶の舌』は、気づかないほど穏やかな、絶え間ないクレッシェンドとでもいうべき構造になっているが、上映が終わったとき、ある時代の忘れることが許されない愚かな出来事について、観客の方々に何かを感じてもらえたらと思う。自尊心を潰され、汚名を負わされ、そしてその汚名に生涯に渡って苦しめられることになった”もうひとつの戦死者たち”・・・・・私は、原作者リバスを筆頭に、我々が彼らの威厳を復活させることに、少しでも貢献できたらと思っている。」

「『蝶の舌』は、少年モンチョが信頼する教師や新しい友人たちや家族らを通して、人生の現実に導かれる通過儀礼(イニシエーション)の物語である。愛とは何か、友情とは、貧富とは、自由とは、そして卑怯、自尊心、裏切りといったものを学んでいく。しかし、それは1936年の夏の訪れとともに突然終わりを告げる。」

監督のこれらのお言葉の後に、私如きが何を言えようか!ただ、”上映が終わったとき、ある時代の忘れることが許されない愚かな出来事について、観客の方々に何かを感じてもらえたらと思う。”と仰るように私は何かを感じ受け取り考えることが出来たと思っているので、この映画に出会えたことを嬉しく思う。

「アテオ!アカ!」と共和派の連行される人々(先生もいる)に人々は罵声を浴びせる。母親にモンチョも叫ぶように言われ、先生と目を合わせながら遠ざかる先生を追いかけ、石を拾い投げながら「ティロノリンコ!蝶の舌!」と叫び終わる。8歳の少年モンチョは新しい体制のことも今から始まる内戦のこともよく分からないはず。でも、先生とのお別れだということは感じていて、教えてもらった鳥の名と蝶の舌と叫ぶ。そう叫ぼうなんて考えてもいない、自然と少年の心が叫んだのだ。なので、私は美しさと凍てつくような気持ちで涙する。

LA LENGUA DE LAS MARIPOSAS
虫取り網を持ったモンチョ君とグレゴリオ先生


  1. 2007/06/30(土) 00:06:23|
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妖しくも美しき英国バンドJAPAN★

2007-06-29.jpg

懐かしいようでついこの間のことのようでもある、私的なアイドル(のような)たちや思春期の想い出たち。この英国バンドが登場しなくては!当時、私の自転車で行動出来る範囲のお買い物コースは限られていた。伊丹の星電社か新伊丹の個人のレコード屋さん(店名を失念)、少し遠出をして塚口のミドり電化。ほとんどが日本盤。星電社とミドり電化には隅っこに輸入盤コーナーがあった。最初はそのコーナーを見ることもなく、先ず”デビッド・ボウイー(こういう表記だった)”のコーナーに向かう。何処にもボウイのコーナーは有ったけれど、数枚しかなく全く初期の作品がなかった。でも、毎月のお小遣いから一枚ずつ(高校生になるとお小遣いが増えたので、日本盤一枚と少し余りがあったけれど、この頃は一枚だけ)。ミドり電化のお兄さん(お若目のおじ様)は特にウロウロ探してる私に親切にして下さった。「ボウイが好きなんですね。」と言われ「はい、でもまだ少ししか持っていません。」と。「ヒーローズ」をコーナーからお持ち下さり薦めて下さった。そして、購入。段々音楽雑誌で知識だけ増えてゆき、ボウイの初期の作品は無いのでルー・リードやイギー・ポップ(ボウイがプロデュースしたと知ったので)をメモしてお店に行った。「このレコードを探しているのですが...」とそのお方にメモを渡す。「ああ、廃盤ですね。」(この繰り返しが幾度も続いた。)お目当ての作品が買えないので、輸入盤コーナーを見てみた。そこで「JAPAN」(2nd)を見つける。躊躇などなく買った。大当たり~♪

1978年のアルバム、US盤(後からそういう事を知る)だったので1000円と数百円位だったので、安いと驚いた。日本盤は大抵3000円位だった。音楽雑誌でこのアルバムの邦題を知る、「苦悩の旋律」。きゃぁ~!素敵と思った。ジャケットに映る長髪のデヴィッド・シルヴィアンも綺麗だと思ったけれど、次第にミック・カーンがメンバー中で一番のお気に入りとなっていった。眉毛の無い妖しい感じとかに不思議な魅力を感じたのだろうか...よく分からない。「ミュージック・ライフ」だったと思うけれど、綴じ込みポスターが付いていた号があった。今では切り取ったりしないのだけれど、その当時はそのポスターを切り取り自分のお部屋の壁に貼ったりしていた。私はアーティストのポスターを貼った記憶は数える程。最初は小さめのパネルの郷ひろみ(小学生の頃)、そして、すっかり洋楽ばかり聴くようになってからはこのJAPANが最初。小さめのものだった。そして、ほんの一瞬,GIRLというバンドの縦長のポスターを貼ったこともある。ボウイのポスターは付録には付かないので、母に梅田のポスター専門店まで連れて行って貰った。大きなポスターが2種類売っていた。どちらも欲しかったけれどパネルにして貰って電車で持って帰るのでどちらか1つ。選んだものは今も私の宝物。velvet moonのお店のオープン時からずっと飾ってあったもの。多くのお客さまから売って下さいとお願いされたけれど、母に買って貰ったものなのでお断りさせて頂いていた。

ある日、父が「郷ひろみから今はデビッド・ボウイーかぁ...(笑)」と言われたことがある。今もHIROMI GOは好きだけれど、あまり知らない。でも、遡れば私はジャニーズ好きなのだ。それは郷ひろみから始まる(フォーリーブスは少しだけ記憶にある)。アランやジュネという雑誌を購入していた。アランには毎号人気投票があった。外人タレントと国内タレントに分かれていた。外人タレントの1位はボウイだった(途中からシルヴィアンに抜かれた)。日本では郷ひろみやジュリーが上位だったので、私は真っ当だったと思う。アランかジュネか忘れたけれど(それもどこかにしまってあるはず)、萩尾望都さまが映画のインタビューに答えるような記事があり、”好きな男優は?”というような質問だった。”デビッド・ボウイー、ピーター・オトゥール、藤岡琢也”だった(オトゥールだけ自信がないけれど、きっとお好きに違いないと思う)。そして、渋いなぁ~さすがだなぁっと、私も藤岡琢也さんが気になるようになっていた。当時はよくドラマやコマーシャルにも出ておられたので。

JAPANは何処へ?...と取り留めの無い思いつくまま綴っているとすっかり”耽美派少女のための変態雑誌”(友人がそう呼んでいた)のお話へ。この雑誌を購入するのは大変だった。その友人の女子も購読者だった。大きな書店にしか置いていなくて、塚口のサンサン・タウンの中の広めの本屋さんにおそらく2冊か3冊程入荷するというもの。それも発売日が未定だった。その女子は塚口に近く有利だった。大抵先に購入し、”売ってたよ”と教えて貰い自転車で大急ぎで買いに行く私だった。残念ながら買えない号もあったけれどその女子に貸してもらったりして読んでいた。懐かしいなぁ...。ジュネの方は特に漫画が主体(漫画を断った私なのに)で、今で言うところの、ボーイズ・ラブというジャンルのお話が多かった。先日、この”はてな”サイトのメンテナンスの情報を読んだりしていた時に、どこかに話題になってるキーワードのようなものが載っていた。”やおい”の対義語は”白泉男子”とあったので、何故かワクワクしてどうしてなのか!(ちょっとピンと来たけれど)読んでなるほど~と納得したり、はて~?と思ったりした。こういうお話はとってもお詳しい友人がいるので、今度また教えて頂こうと思う。

結局、こうして今の私もどうも10代からの延長のまま年を重ねているのを自分で綴っていて痛感する。面白いようでもあり馬鹿みたいでもあるけれど、好きなもの、きっと”美しい”と思う基本的なものは変わらなくて、いつの間にか自分なりの好きな世界が繋がり絡まり深まっているだけなのだろうな...と思う。もう解散してしまったJAPANだけれど、今も大好き!ミック・カーン(とても上手いベーシスト!とも知らず)に憧れ、通販で適当に赤いベースを買って母に叱られた。教本も買ってちょっと音を出して遊んでいたけれど、そのベースが重くて重くて!結局、”JAPANのコピーバンド”(女子ばかりの)の夢もあっさり消え去り、お年玉で購入したそのベースはいつの間にか弟のものになってしまった。そして、私はずっとリスナー専門で今日に至る。


  1. 2007/06/29(金) 15:13:23|
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ブリジット・フォッセーとジョルジュ・プージュリー

JEUX INTERDITS
11歳の少年ミシェル(ジョルジュ・プージュリー)と5歳の少女ポレット(ブリジット・フォッセー)。
『禁じられた遊び』より♪


  1. 2007/06/27(水) 09:58:27|
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シャンソン界の異端児★ブリジット・フォンテーヌ(Brigitte Fontaine)

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御大フォンテーヌさまをアイドルとお呼びするのもピンと来ないけれど、此処は私の思春期にとても感銘を受けたアーティストたち、または青春時代が甦るものたちを思いつくままに綴ってみよう~と楽しいブログのはずが、妙に真剣になってしまう。茶化したり出来ない人達ばかりだし。以前、bghs君(ボーイフレンズ・デッドのリーダー)が私にとってのボウイさまはアイドルなのだと教えて下さった。どうも、ピンとは来ず畏れ多い存在なので身近に感じないし、感じたいとも思わない。しかし、最近色々考えたり綴ったりしてみるもので少し変わってきた。デヴィッド・ボウイという何者にも変えられない存在、それは私にとってのアイドルであり、ヒーローであり、ミューズであり、カリスマなのだ!全ての言葉が当てはまってしまうお方、なので14歳から今日まで一等大好きなお方なのだと☆

そこで、フォンテーヌさま♪もうジャンルを超えているのでシャンソンとかフレンチポップスとかアヴァンギャルドとか...吹っ飛んでしまう。パンクな存在とも言える。とても、ラディカルでありながら優しい(アレスキーも同様に)。それにおこがましいけれど、いつまでも可愛らしくて突飛で風変わり。ヴォーカルの衰え知らずだし、存在感は圧倒的だ。ボウイより少し遅れて16歳(高2の春)の時が出会い(『ラジオのように』)。『魅せられし声の美力』に綴ったことと重複するので簡潔に。そのお声と音の存在、間章氏のライナーノーツの活字、私の年齢...色々と理由は考えられるけれど、兎に角夢中になってそのレコードを聴いていた。NEW WAVEと呼ばれていた音楽たちと共に。その後、SLAPP HAPPYを知りダグマー・クラウゼにも夢中になった。その時も彼らの音楽はプログレやカンタベリーという音楽ジャンルなど超えていて、私にはNEW WAVEの音楽たちと同じように好きだった。国籍やジャンルなんて気にしない方が楽しいと思う。”好き!”と思って聴いたり観たりすればそれで楽しい。でも、アイドルは個性とルックスは重要!なミーハーな私。


  1. 2007/06/21(木) 15:15:31|
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ジャン=クロード・ブリアリ:JEAN=CLAUDE BRIALY

Brialycinemahouchou

ジャン=クロード・ブリアリ:JEAN=CLAUDE BRIALY
生年月日:1930年3月30日 牡羊座 アルジェリア・オマール生まれ 没年:2007年5月30日

陸軍大佐であった父に連れられ、赴任地を転々としながらの少年時代。大学では哲学を専攻しながら、ストラスブールのコンセルバトワールで演劇の勉強をする。その後、陸軍に入隊し、軍の映画部で、フィリップ・ド・ブロカ監督やカメラマンのピエール・ロム等と知り合い、芝居熱が沸騰しパリへ出向く。そして、1956年に映画デビュー。ヌーヴェル・ヴァーグ作品には欠かせない存在のお方。病に侵されても最期までお仕事をされていた(最晩年は未公開が多い)。主役も準主役も脇役も、ブリアリが登場すると引き締まるというのかカッコイイのだ。ゴダールシャブロル監督は口を揃えて「彼に任せておけば安心だ。」と仰っていたという。また、アラン・ドロンも何かあれば、すぐにブリアリに相談に行ったそうだ。映画人、仲間から信望の熱いお方だったことが窺える。

最初に知ったのはトリュフォー監督の『黒衣の花嫁』。ジャンヌ・モローを知った作品で、私はブリアリも知ることができた。公開作品などを挙げてみると観た作品は約8割程度だろうか。まだ未見ものが色々あるので観たいし、未公開作品も多数。60年代映画ながら、長い間公開されずにいたピエール・コラルニック監督、セルジュ・ゲンスブールが音楽担当(ミシェル・コロンビエも)とちょっと出演もしている『アンナ』の公開も記憶に新しく、私は映画を拝見する前に既にそのサントラをよくイベント等で使わせて頂いたものだ。セルジュ大好きな上、アンナ・カリーナが主役、そして、役名セルジュに扮していたのはブリアリだった。そして、歌声も素敵♪大好きなカルト映画なので、また作品についても綴ってゆく予定。ブリアリが公の場に姿を現した最後は4/19のジャン=ピエール・カッセル(ヴァンサン・カッセルのお父様)の葬儀の日だったそうだ。ご自分の死の一ヶ月程前のこと。御辛かっただろうと思う、お身体も精神的にも。それでも駆けつけないではいられない、そんな心意気があのお姿からも感じることができる。素敵なお方です。私は残された作品たちをこれからも再見を繰り返すだろうし、ジャン=クロード・ブリアリというフランスの名優を忘れることはないと思う。まだ実感もないけれど、兎に角好きだった...。でしゃばる様な演技をしない。そして、自らゲイであることを公認されていたお方でもある。意外とこのことは触れられないけれど、感覚だろうか?その様に感じていたので知った時は嬉しかった(という表現も変だけれど、そうだろうなぁ...という香りが当たっていたので)。5/31の葬儀には多くの映画人や友人が駆けつけたその記事をちらっと拝見し悲しくなった。特にジャンヌ・モローのお言葉は胸が締め付けられるように感じてしまった...。
ご冥福をお祈りいたします。

パリ・5月31日のブリアリの葬儀にて。
ジャンヌ・モロー
「ジャン=クロード・ブリアリは、私にとって弟のような存在でした。私よりも先に旅立ってしまった...悲しみでいっぱいです。彼のことを、もう、この世にいない人として話すのは、辛く耐え難い思いです。」

クロード・ルルーシュ監督)
「ジャン・クロードは、自分の仕事をよくわかっていました。あらゆるものごとに関心を持っていました。好奇心旺盛で、とても魅力に溢れた人でした。」

ロベール・オッセン
「彼の死の知らせに私は打ちのめされました。彼は本当に特別な人でした。とてもあたたかで素敵な人、同時に高いプロ意識を持った人でした。」


◆代表作◆ 
青い自転車 (2000)
モンテ・クリスト伯 (1998)
恋人たちのポートレート (1996)
ボーマルシェ/フィガロの誕生 (1996)
フランスの女 (1995)
王妃マルゴ (1994)
百一夜 (1994)
ロベルト・ベニーニのMr.モンスター (1994)
恋の病い (1987)
大迷惑 (1987)
マーシェンカ (1987)
ザ・クライム/陰謀の罠 (1986)
なまいきシャルロット (1985)
トリエステから来た女 (1983)
サイキックゾーン (1982)
愛と哀しみのボレロ (1981)
カンヌ映画通り (1981)
華麗なる女銀行家 (1980)
2人のロベール/花嫁募集中 (1978)
脱獄の報酬 (1976)
バロッコ (1976)
判事と殺人者 (1976)
麗しのカトリーヌ (1975)
自由の幻想 (1974)
ロミー・シュナイダーの情事 (1973) 監督
殺人代理人 (1972)
小さな約束 (1972) 監督・脚本
ランボー/地獄の季節 (1971)
クレールの膝 (1970)
キャサリン大帝 (1968)
黒衣の花嫁 (1968)
愛すべき女・女(め・め)たち (1967)
奇襲戦隊 (1967)
奇想天外・泥棒大作戦 (1967)
恋のマノン (1967)
まぼろしの市街戦 (1967)
アンナ (1966)
私は彼女をよく知っていた (1965)
男を追って (1964)
ピストン野郎 (1964)
輪舞 (1964)
いっちょう頂き (1963)
俺は知らない (1963)
新7つの大罪 (1962)
スエーデンの城 (1962)
火刑の部屋 (1962)
フランス式十戒 (1962)
女は女である (1961)
5時から7時までのクレオ (1961)
素晴らしき恋人たち (1961)
ダンディ (1961)
ヒッチ・ガール (1961)
いとこ同志 (1959)
いまだ見ぬひと (1959)
大人は判ってくれない (1959)
学生たちの道 (1959)
狂った夜 (1959)
男の子の名前はみんなパトリックっていうの (1959)
恋ひとすじに (1958)
水の話/プチ・シネマ・バザール (1957~1989)
死刑台のエレベーター (1957)
美しきセルジュ (1957)
恋多き女 (1956)
王手飛車取り (1956)


Brialy deloncinemachouchou
5/31の葬儀でのアラン・ドロン。どんなに心痛だっただろうと想う。カンヌ映画祭からすぐ後のこと。
ロミーの没後30年の年に兄貴分のような存在まで...。


  1. 2007/06/21(木) 08:25:26|
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北村昌士氏への追悼のような.....

2007-06-20.jpg

「想い出」

北村昌士氏が昨年(2006年)6月17日、心臓疾患により逝去された。享年49歳、早世だとも思い、長く生きるには神経とお身体が持たないお方だとも感じる...でも。でも、と私は悲しい。もう一年が経過したけれど、まだ重くのしかかるものは何だろう。YBO2もCANIS LUPASもとても好きだった。日本のインディー・レーベルではトランス・レーベルに最も思い入れがある。既に聴く音楽は洋楽ばかりの私だったけれど、北村さんのレーベルだと思うと肩入れしていたのかもしれない。

相方との共通の友人で元々は音楽活動をしていた素晴らしいギタリストがいる。当時からその友人は数少ない私の好きな世界の理解者のお一人だった。今もとてもお優しく気にかけていて下さる。IL BONEの箕輪さんのドラムが好きだというお話もよくしていた。私はクリス・カトラーやフレッド・フリス達の”レコメンデッド”レーベルの音楽もとても好んでいて、箕輪さんのドラムの音はどこか”プログレ”な匂いがした。PHEWもとてもとても大好きな女性アーティストでPHEWのアルバムでも箕輪さんのドラムは聴け歓喜していた。そして、私が大の『Fool's Mate』の愛読者であることも十分ご存知なお方で、いまだにお会いしてどなたかに紹介して頂く折には決まって、「毎日、『Fool's Mate』を持ち歩いていた子です。」と言われて苦笑する。大阪のエッグプラントだったと思う、CANISと割礼のライヴがあるというので、誘って頂き相方と3人で向かった。初めてあの北村さんのライヴが!(割礼はライヴ後、さらに好きになった)。そんな思いで早目に待ち合わせて方向音痴な私は付いて行った。もうワクワク、ドキドキ♪すると、その友人は楽屋にツカツカと入って行き北村さん(リハーサル中だったかも?)を呼び出してきた。私はその友人に呼ばれ「10年来のファンで、こんなんやけどめっちゃ音楽とか色々詳しいねん。」こんな変な紹介をされて息が止まりそうだった。リハーサルが終わったかどうかも分からないのに、ご丁寧にお辞儀をして下さった「はじめまして、どうもありがとう。」と小さなお声だった。まだ、開演前だったので、出演者の皆様とスタッフの人数をお聞きして、自動販売機で幾種類かの飲料水をお持ちさせて頂いた。私はもうそれで十分で、私如きをわざわざそんな時間の無い時に紹介して頂いて感謝している。

ライヴが終わり、美しい北村さんを追いかける女子ファンも多く”凄い人気!流石だなぁ~”とやや圧倒されてしまった。すると、今度は相方が「自分、北村さんにサイン貰えたら言うとったやん。行こう!」とタクシーで会場を出られる寸前に、再度ご挨拶させて頂き鞄に入れていた『キングクリムゾン』の本を出して「サインをして頂けますか?」と伝えると、にこやかな表情で「久しぶりに見たよ。こんな本まだ持ってる人がいたんだね。」と。謙虚なお言葉とその繊細な仕草が印象的だった。タクシー内には奥様もお待ちなのであまり時間を取ってはいけないと察知した。そして、他のファンのお声と共にタクシーは去って行った。

ところが、まだ続き、何故か打ち上げに私達3人も同席することになり、私は相方と箕輪さんが両隣、テーブルの真正面には北村さん、そして奥様。反対側の横には友人。相方の横には割礼の宍戸さん・・・何を食べたのかも覚えていない。何処に行ってもマイペースな相方は北村さんにクリムゾンのお話をしたりしている。段々プログレ談義になり知らない名前も出てくるのでただ聞いていた。でも、CANISの音楽はプログレだとライヴを観ても感じたのでそんなお話を皆でしていると、次号にその時の会話らしきことが載っていて嬉しかった♪北村さんは始終あまり何も食べずにウォークマンみたいなもので音楽を聴きながら時折小さなお声でお話されていた。真ん前におられるのにロクに喋ることも出来ない私に、友人が「何か訊きたいことないか?」と言うので、ずっと気になっていたこと、「新しく御本を執筆されるご予定はありますか?」と。バンドやレーベルで多忙な毎日だろうに、間の抜けたことをお聞きした空気だった。でも、私はベースでヴォーカルの北村さんよりも、物書き、北村昌士さんが好きだった。先にあの文章、文体に衝撃を受けたのだから。その上美形なお方と知りボウイ・ファンでもあられるのでますます好きになっていたという感じ。

毎日が精一杯な感じだったと思う。お子様が生まれる直前頃だったし。「書きたいんだけどね...」と仰ったけれど、その後拝読することはなく、北村さんのライナーノーツの付いたレコードや雑誌のテキストなどを今も読み返すことは可能。”活字には力がある”と実感した最初の音楽評論家だったと思う。ご自分では音楽評論家とは思ってもいないようなお方だったと思うけれど。難解な文章は時に頭が割れそうになったこともある。でも、あの伝わるものはなんだろう...なんだったのだろう?もう少し古い世代に、間章氏がおられた。私がブリジット・フォンテーヌを大好きになってゆくきっかけは、そのライナーノーツの間さんの文章の魅力だった。そして、このお方の偉業を後追いした頃にはもうお亡くなりになった。今も活字を読むことが好き。なので、こうして拙い想いでも書き留めたくなるのだろう。ノートはもうごちゃごちゃで何処に何をメモしたか、時に溢れる感情を書きなぐってるような箇所も発見すると、我ながら阿呆だと苦笑する。でも、その時の私の感情や感想なのだから、それも時間は経過すれども、私なのだろう。ピーター・ハミルを教えて下さったお友達のお姉さま。そして、北村さんが敬愛されていたお方でもある。『Fool's Mate』はプログレ~NEW WAVE~日本のインディーズ・シーンの最新音楽情報の宝庫だった。『REMIX』になって暫くしてもう、音楽雑誌は買わなくなった、定期的には。そして、北村さんの後に影響というか文章の衝撃や情熱を感じる音楽評論家さんには出会っていない。素晴らしいプロのライター方の評論やレビューは沢山在るけれど、私の個人的な活字の衝撃!それも音楽を通しての。その様なお方はもういない。あまりにも私的な感性や文章との相性だとも思うけれど。浅田彰氏の文章も好きだった。北村さんとのプロジェクトもあったなぁ...と思い出す。

追悼って...とても難しい。人の死はそれぞれ。ただ、好きなお方がだんだんお亡くなりになってゆく。気持ちが追いつかない感じだし、実感が伴わない。早く、大好きなフランスの名優!ジャン=クロード・ブリアリの死も追悼せねば!と映画ブログに2.3行だけ綴って未公開放置したまま...悲しいな。でも、残されたものを大切にしたいと思う。


  1. 2007/06/20(水) 15:18:08|
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ロミー・シュナイダーに寄せて♪

Romycinemachouchou

そして私は、時がふたたびひとつになり、
私の冒険がほんの一瞬のあいだの出来事で、
それがまたすごく長く感じられるかと思うと、
実際はほんの一秒くらいしかなかったのではないかと
思われるほどの時間に起こったかのような幻想をいだいたのである。


よつば マルセル・エーメ 「美しき映像」より


  1. 2007/06/16(土) 10:13:16|
  2. ☆讃美 美とロマンの女優☆|
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フレンチポップス界のアイドル☆リオ♪

2007-06-15.jpg

私のこれまでって、ほとんど全てに於いて感覚、”これはっ!”といった直感的なものばかりの連続だと、こうして色々綴っていると再認識する。ところが、それらの多くは大当たり~!なのだから良しと自己フォローしておこう。このリオちゃんにしても、日本盤のLPを近くのレコード屋さんの新作コーナーで見つけたのが出会い。もう、買うしかないと即買い。そして、今日までずっと忘れた頃に届けられるようになった新作や、女優さまとしても活動されているので出演していると知るとそれらの映画も観てしまう。もう20数年も前のあの日から年月の経過を感じるけれど、大したことはない。これからも積み重ねていくだけのもの。その間、興味を失せることもないリオちゃんの魅力って凄いと思う。

ポルトガル生まれのベルギー育ち、フランスで大ブレイク!キュートなルックスとロリータ・ヴォイス、初期はテレックスが曲を提供とエレポップ、テクノポップなサウンドだった。ラテン娘の人生を楽しむ♪パワーは笑顔や生き様をみても感じられるもの。パンク少女がそのまま大人になったようなお方で伝説のライヴの逸話もあるけれど、”パンク”とは音楽のジャンルに留まらずその人の生き様にも形容可能だと思う。16歳でレコード・デビューした、80年代のフレンチポップス界の可愛いロリータ・アイドルのリオとは、大人になってもそんなイメージ♪ファッションも突飛な過激さを伴うキュートなものが多いし、時にドキリとするメイクや出で立ちも数多い。なので、楽しいのだ♪おしとやかでお行儀の良い可憐な少女も大好きながら、こういう少女の魅力も愛惜する私。


  1. 2007/06/15(金) 15:20:43|
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タクシー・ドライバー

タクシー・ドライバー【ワイド版】 タクシー・ドライバー:TAXI DRIVER【ワイド版】
監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デ・ニーロ、シビル・シェパード、ジョディ・フォスター、ハーヴェイ・カイテル (1976年・アメリカ映画)

最初に観たのはテレビで多感な頃。何かがこの作品に対して残ったまま今日に至る気がしてならない。去年も再見し、今年も。年月が経過する中で病めるアメリカ、世界の大都市ニューヨークで生きる人々、街の光と影。時代への叛逆。若者の孤独と混沌としたものが不気味に胸に突き刺さるばかり。この頃のデ・ニーロの蒼白な顔つきは好きだけれど、ここでのトラヴィス役は何だろう...凄まじい。70年代のアメリカ、アメリカン・ニューシネマの名作に違いないのだろう。スコセッシ監督はカンヌでパルムドール受賞作品ながら、本国アカデミーは候補に挙がりながら受賞を逃した。デ・ニーロもジョディも。バーナード・ハーマンの珠玉のスコアも...映画賞の受賞ってなんと困難で大きな意味があり、またはあまり関係ない気もする。

トラヴィスが恋心を抱く女性ベッツィー役のシビル・シェパード、街に立つ娼婦アイリス役の撮影当時12歳~13歳のジョディ・フォスター!お若いハーヴェイ・カイテルは壮絶な最期を迎えるスポーツ役。スコセッシ監督もちょこっと出てくる。凄い豪華な脇役と主役のデ・ニーロにため息。

私はこの映画が好きか?と問われたなら、今もまだ答えられない。でも、この恐怖感は今を生きる私達にとてもリアルな感覚も持ち合わせているように思う。30年前の作品なのに!一見、英雄のように映るトラヴィス。そこが怖いと思うし、今的な気がする。華やかな街のざわめきを照らすネオン。タクシーで徘徊しながらトラヴィスは不浄な世界が目に付き苛立ちと持って行き場の無い怒りと孤独が募る。ベトナム戦争から帰って来たというのも要因だろう。恋も実らず、ますますやるせない気持ちが狂気を伴っていく様から終盤へ...壮絶だ。見事過ぎて怖い!

この映画の公開後、少女ジョディは、ある熱狂的なファンによるレーガン大統領が襲われるという事件が起こり大きなショックを受ける。演技者として優れた才能は映画を離れても予期せぬ形で影響を与えてゆく。現実と妄想の境目が不安定になるというお方も多い。幸い、どうにか私は映画が大好きで感情移入し過ぎて時に暫く境界を彷徨う一瞬がある。それが魅力だとも思っているし、映画は最良の娯楽だと思っているので、美しい風景の中にいつまでもいたいと願う作品に感銘を受けても、また現実に戻ることができる。多くの映画好きなお方はそうだろうし、もっと細かい分析をされたり、かなり精神的な衝撃を受け深い思考に陥ることもあるだろう。何が言いたいのだろう...よく自分でも分からないけれど、デ・ニーロは優れた名優だけれど役柄のトラヴィスではない。そして、トラヴィスは結果的にアイリスを救ったけれど彼女のためという英雄劇ではなく、己との葛藤や憤り、都会の孤独や寂寥が痛ましいデス・コミュニケーション。この残像が30年経った今もリアルに色褪せないものとして伝わってくるように感じる。

サイドには欧州映画やアート系作品を多く並べている私。映画も音楽もだけれど、メジャー作品、ヒット作品、マイナー作品、インディー作品...とどこにも素晴らしいものがある(面白くないものもあるけれど)。マニアックな作品やアート系を好む私もいるけれど、語り継がれる名画、優れたスタッフが集結して生まれる素晴らしき世界を見逃すには勿体無い!そして、また観たいと思う映画に出会えることが嬉しい。

taxidrivercinemachouchou
乗客役のスコセッシ監督とトラヴィス(デ・ニーロ)★


  1. 2007/06/12(火) 11:20:12|
  2. サスペンス・ミステリー・ハードボイルド|
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グレイス・ケリーに寄せて♪

leda

神が思いあまって白鳥のなかへ入ったとき
彼は白鳥の美しいことにほとんど愕然としながら
まったく狼狽してその中に姿を消した
だが このまだ経験したことのない存在の感触を

試すひまもなく 既にその偽りの姿が
彼を行為へと導いたのだった そしてあけひろげのレダが
白鳥となって近づいてくる者を知り
一つのものを求めていたことを悟っていた


よつば リルケ 「レダ」より  

  1. 2007/06/12(火) 10:14:57|
  2. ☆讃美 美とロマンの女優☆|
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パティ・スミスのポートレートに魅せられて

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洋楽が好きになり音楽雑誌を読み始めた頃。”音楽専科”という雑誌が好きだったのに廃刊となってしまった。その一冊の中の或る一頁のポートレートが飛び込んで来た。それは、ロバート・メイプルソープが撮ったパティ・スミスだった。私はこうしてまたしても音楽を聴く以前にそのお方の容姿から”好き!”となった。私は女性ながら女性ヴォーカルや女優といった様々なタイプの女性が好きで今に至る。一等大好きなデヴィッド・ボウイさまは性別を超えている超越した存在であり続けている。日本には美輪明宏さまという同じように性別やシャンソンなどのジャンルを超越したお方でどなたとも比較は出来ない大好きな存在がおられる。

何故だか、幼い頃から私はこうした傾向が知らず知らずにある。クラスメイトの女子がある男子生徒をカッコイイと噂話している。ある男性教師を素敵だと楽しそうだったり。私は聞き手で自分からそのように感じた事はなく、感じのいい男の子だな~とお友達として感じるのみ。そして、これまた幼少の頃からの舶来趣向のせいか、異国の人々に憧れを抱いていた。なので、よく親しい友人には”ロンパリ”とか”ヨーロッパかぶれ”と言われていた。でも、自分でもそうだと思った。

パティ・スミスには少女と大人が同居し、少年のようでもあるけれど限りなく女性的なものを感じる。そのポートレートを見て”美しい!”と思えたのはそんな風に感じたからかもしれない。リアルタイムではないけれど、最初に買ったのは『イースターEaster』1978年の3rd・アルバム。デビューは1975年の『ホーセス』なのでパンク以前のこと。”パンクロックの女王”と謳われるのは然りなのだ。それもデビューは29歳なので決して早くはない。パンクはロンドン発のムーブメントとしてとんでもない衝撃を与えた(リアルタイムの先輩方のお話をお聞きしていると羨ましくなる)。しかし、発はニューヨークなのだ。私はロンドンのクラッシュ以外はほとんどニューヨーク・パンクを先に聴くことになっていった。それはそれらのアーティストの表情や佇まいから感じられるものが私の”好き”な世界を体現しているように映ったのだと思う。パティのレコードを手にする前にランボーを好きになっていた。パティがアルチュール・ランボーを敬愛していると知り、ますます気になる存在となっていった。初期はレニー・ケイ達とのグループ、パティ・スミス・グループという名だった。そして、物静かで神経質そうな美しきギタリスト、レニー・ケイもとても好き(初来日公演には行けなくて残念だった。確かニール・ヤングと同じ日での公演で先にチケットを購入していたので)。ソロ・アルバムも地味ながら時折聴きたくなるものだ。

私は日本人なので日本が好き。日本の美しい言葉や文化が沢山ある。でも、元来の舶来趣味は軌道修正できずに今も進行している。そんな自分を少しは追想できる位の年月と年齢になってきた。すると、私の好きなものの大きなキーとなるものたちが、パリ、ロンドン、ニューヨークにあると気付く。意図している訳でもなかった事柄が自然と結びつき連鎖し合う。時には世紀を超えたものでもある。なんと!素晴らしいことだろう~とまだまだこの見知らぬ旅は続き、さらに繋がり絡み合い、歓喜と混乱で頭と胸がいっぱいになっていくのだろう!

パティ・スミスと親交の深かった人達やパティのアイドル、またはパティをアイドルとして影響を受けてきたアーティスト達の多くに好きな世界がある。最愛の夫フレッド・スミス(元MC5の”フレッド・ソニック・スミス”)に先立たれ、双子のような親友ロバート・メイプルソープはエイズで亡くなり、ウィリアム・バロウズも亡くなった(追悼アルバムがある)。ジェフ・バックリーやカート・コバーンも亡くなった。子育ての時期が過ぎるとパティはまた表現者として復活し今も現役だ。年は重ねても変わらない。老眼鏡を手にしてポエトリー・リーディング。相変わらず素敵なパティは今年の12月30日で62歳。誠実さと優しさ、激しさと厳しさ、凛々しさと愛らしさすら感じるパンク詩人☆今なお、健在なり!

補足:このパティ画像は最初の出会いのお写真ではありません(残念ながら間違いで捨てられてしまったダンボール箱の中に持っていた音楽専科は入っていたので)。


  1. 2007/06/10(日) 15:23:51|
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聖少女☆シャルロット・ゲンズブール(CHARLOTTE GAINSBOURG)♪

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シャルロット・ゲンズブール:Charlotte Gainsbourg

1984年13歳のはにかんだ少女シャルロットは、カトリーヌ・ドヌーヴの娘役として映画デビュー(『残火』)した。早くもこの希有な存在は注目され、1986年の『なまいきシャルロット』でセザール賞(フランスのアカデミー賞のような大きな映画賞)の有望若手女優賞に輝いた。同じ年に『シャルロット・フォー・エヴァー』発売。まだ父セルジュ・ゲンスブール(セルジュ・ゲンズブール)は健在の頃。セルジュは溺愛していたのだろう!我が命の残りと愛娘シャルロットの貴重な少女期を映像と音楽共に残している。流石のセルジュ!ナボコフのロリータを愛していたお方なので百も承知なのだ。少女の儚い刻を。賛否両論が巻き起こったようだった。セルジュはご自分のアルバムと映画の中で実の娘との近親相姦を描いたのだから。

か細く消え入りそうな小鳥の囀りのようなお声のシャルロット。いかにも内向的な少女だと分かる。でも、音楽や映画は生まれた時から周りにあったもの。自然と身に付いたものがあるのだろう。インタビュー嫌いで有名。『なまいきシャルロット』の主演デビュー作のタイトルのイメージが先行したのか、そんなシャルロットをなまいきな少女だと勝手な思い込みをされていた方も多かったようだ。親の七光りはもう既に軽く超えていると思う。女優シャルロットは母ジェーン・バーキンよりも遥かにアクトレスとしての静かな存在感に満ちている、そしてまだまだこの先が楽しみで仕方のない女優さまのお一人。ジェーン・バーキンは歌手としての方が個人的にはより好きなように感じている。

ジェーンは高校生の頃から好きだった。そしてセルジュ。そしてシャルロットのデビュー!気にならないはずは無い。でも、既に大人の入り口にいた私の戸惑いは暫く続いていた。そんな私の前に現れた”聖少女”♪そして、可愛いシャルロットのはにかんだ表情を見ては戻りたいと思ったりもした(馬鹿なことだと、病的だと忠告されたこともある)...。そんなシャルロットは今もとっても大好き!2児の母親になって、主役や脇役、フランス映画に留まらず国際女優としてゆっくり歩んでいるようだ。気負いも感じられず、とても自然な感じで美しくなってゆく。すっかり長身で手足が長くスレンダーな美しさ。へヴィー・スモーカーはお父様譲りのよう。笑ったお顔はさらに似ていて嬉しくなる。お母様とお父様の素敵な部分をいっぱい受け継いだようなシャルロット(贔屓目たっぷり♪)が大好き☆

  1. 2007/06/08(金) 15:27:55|
  2. 銀幕の少年少女たち(『クララの森・少女愛惜』へ!)|
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デュラン・デュラン:Duran Duran★ニュー・ロマンティックなロンドンを夢見て

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パンク以降、70年代後期から80年代初頭にかけて特にヨーロッパを中心に様々な音が溢れ出す。New Waveと一括りにされていても。まだ毎月のお小遣いからレコードと音楽雑誌を買うのが精一杯の頃。門限も厳しかったので夜の外出は全く禁止だった。なので、雑誌やラジオなどで次々と紹介される新しいバンドやアーティストたち、特にロンドンに夢を馳せていた。これまた、ルックスから(MTVだろうか?まだブレイク前のテレビで観たライヴ映像だった)直ぐに要チェック!なバンドを発見。デュラン・デュラン☆1stアルバム前だったのかもしれない。ひらひらしたブラウスにレザーパンツ姿(メイクもしていた)の美麗な雰囲気にすっかり釘付け!翌日、学校に行きそのバンドについてお話していた(一人気の合う情報交換できる女子が違うクラスにいた)。もうひとつ反応が薄かった(彼女はワイルドな感じのファンだった)。雑誌やラジオが伝える毎夜のロンドンでのニュー・ロマなクラブ情報を羨ましく読んだり聞いたりしていた。デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージック、T.REXなどの70年代初期のグラム・ロックと共に流れるというニュー・ロマンティックと呼ばれていたムーブメント。その中に、デュラン・デュランやヴィサージ(スティーヴ・ストレンジ)や、カルチャー・クラブ(ボーイ・ジョージ)、ウルトラヴォックスやデペッシュ・モードなどの名前も...そして、かなり大ヒットしたスパンダー・バレーやABC、ソフト・セル、ヒューマン・リーグ、クラシックス・ヌヴォー(クラシックス・ヌーヴォー)などの華やかな存在がアメリカのヒットチャートに登場してゆく頃♪

デュラン・デュランは初期からボウイ・フォロワー(ニューウェーヴの父なのでフォロワー多数!)だと公言していた(カバー曲もある)ので、さらにお気に入りに♪それに綺麗なのだ。私はその前にジャパンのファンになっていたけれど、彼らは早過ぎた(またその内登場)。でも、”ロンドンにはどうしてこんなに綺麗な男の人達がいっぱいいるのだろう~♪”と思っていたし、ロンドンとはそういう特別なものに思えた。デュラン・デュランはバーミンガムの出身で、結成は1979年。ボーカルのサイモン・ル・ボン、ベースのジョン・テイラー、ギターのアンディ・テイラー、キーボードのニック・ローズ、ドラムのロジャー・テイラーの5人の頃(この5人での再結成来日公演もお友達と一緒に行き、記憶に新しいもの)が最強かな。私は最初からジョン・テイラーが好き。アルバム『リオ』辺りからだんだん人気も高まり自然と周りにファンの女子が存在していた。ニック・ローズがダントツの人気だったようだ。5人ともそれぞれ素敵だったけれど、私は前髪を長く重めに横に流し、長身で口元の赤い、白いブラウス姿のジョン・テイラーがメンバー中最も好きだった。あの前髪を真似たくて朝ドライヤーで流れを作って登校したものだ(髪が強くはない方なのですぐにそのセットは形を無くしていたけれど)。

MTVが人気のあった頃。音楽番組に来日アーティストが出演したりしていたことを思い出す。「夜のヒットスタジオ」とか好きだったなぁ♪「11P.M.」(表記は合ってるだろうか?)も学校では話題になっていたけれど、とにかく厳しく夜の番組は見せてもらえずにいた。なので、この有名な番組を観たのは数える程だったけれど、リップ・リグ&パニック(だったと思う)のスタジオ・ライヴを途中から少し観たことがある。ファンクやジャズの要素が入った聴いたことのない音楽だった。バウ・ワウ・ワウだったのかな?(どなたか覚えておられたら教えて下さい!)こうして、とても異国に魅せられ新しい続出する音楽たちにとても貪欲になっていた頃が昨日のことのように思えるのだから不思議♪


  1. 2007/06/07(木) 15:32:01|
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ケイト・ブッシュ(KATE BUSH)がきっかけ♪

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デヴィッド・ボウイ(敬称略)は私の今もなお継続されている”ミューズ”であり”カリスマ”の域のお方。このような自分自身の中に”アイドル”と”ヒーロー”が存在するようだ。かなり重なりあっているという点も何となく分かってはいるけれど。

ボウイは別格なので女性、男性とかを超えている。その前提で私はとてもかなり女性ヴォーカルが好き。何故だかは分からないけれど持っているレコードやCDの多くが女性アーティストで、俳優にしても好きな女優は男優の何倍もの数となっている。「私は女性ヴォーカルが好きだなぁ~♪」って意識したのは、間違いなくケイト・ブッシュとの出会いから。ここはただ大切な想い出や今も心に住む愛すべき人達を連ね、思うままに綴る場所。なので、ケイトのデータ的なことやディスコグラフィーも載せない。ケイトは比類なき孤高のヴォーカリストなので、『魅せられし声の美力』にも登場して頂くお方。ケイトは私にとって美しきミューズのお一人なのです☆

ケイトは1977年のデビューからもう30年のキャリアながら、「レッド・シューズ」辺りからとてもリリースのインターバルが長いので、オリジナル・アルバムは年数の割りに多くはない。でも、クオリティの高さは維持され続けている。私は残念ながらリアルタイムは『魔物語』から(アルバムとしては)。でも、東京音楽祭に出演された時をかすかに記憶している。不思議な美麗なレコード・ジャケットと曲名に反応し、そして音域の広い、素晴らしい表現力や世界観にすんなりと呑み込まれてしまったようだった。音楽好きの友人たちが増えてゆく中で、ケイト・ブッシュという存在は有名ながら、意外と苦手だと仰る方々も少なくは無いと知った時、新鮮な驚きだった。でも、言われてみるとそうなのかなぁ~と思える。それ程、圧倒的な個性と世界観をお持ちのお方なので。ルックス(私は大好き!)から苦手という忘れた頃に連絡を下さる友人がいる。ボウイの事でも、「綺麗すぎて怖い」とか言われた事がある。ほぉ...っと考えてしまうけれど、人それぞれの感性と生理的なもの、美的感覚も様々なのだから。なので、聴いたこともないのに頭ごなしに罵倒されると流石にムカって思うけれど、そういう他の人達のそれぞれのお話をお聞きするのは好きなのだ。もちろん、誉め讃え合うのも大好きだけれど♪

ケイトは”女性版デヴィッド・ボウイ”と称されたこともあり、同じリンゼイ・ケンプの弟子だということもあり、その事をご本人も光栄だと語っておられたので、ますます大好きになったものだ。途中からライヴを大々的にされなくなったけれど、初期のライヴなどを拝見すると極めてしまっているような感じにも思える。完璧主義者としても有名なので、何度も録音し直したり、一時期は狂気すら醸し出していた。天才なのだ。こうして表現するために生まれて来たお方なのだと思える。他に似た人はいない。誰も真似の出来ないヴォーカリストであり独特の世界観を表現される。最近はふっくらされているけれど、まだ今年の7月30日で49歳(30年のキャリアなのに!)また、次作に何年待たされようがケイトはゆっくり気長に待てる。


  1. 2007/06/06(水) 15:34:31|
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ケイト・ブッシュ:KATE BUSH/THE SENSUAL WORLD

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「KATE BUSH/THE SENSUAL WORLD」
1989年

本来ならば最初に書くべきお方のような気がする。私自身「女性ヴォーカル」が好きだと確信したというか、きっかけとなった衝撃の出会いはケイト・ブッシュだったのだから。ラフに思うままに綴ろう今の気分で。此処に綴らせて頂くお方はとっても大好きなヴォーカリストばかりだということ。そして、イメージ的に画像とアルバムを載せているだけで、基本的にどの作品も好きなもの。

1989年のアルバム「センシュアル・ワールド」、これはアメリカでもヒットしたので世界的に注目を浴びた作品だったと思う。私のケイトのリアルタイムは『魔物語』(一等好きなケイト作品★)。12年ぶりの新作も包み込まれるような柔かさが伴い相変わらず素敵な世界観を維持されている。1977年のデビューからもう30年のキャリアなのに、もうすぐ49歳。まだまだお若いので次の作品も気長に待ちたい。私は「4AD」(特に90年代初頭辺りまでの)という英国のインディー・レーベルが大好きだった。そこからリリースされた「ブルガリアン・ヴォイス」という作品もとてもよく聴いていた。ケイトの「センシュアル・ワールド」には、ブルガリアン・ヴォイスの一員のアンカ・ラプキーナ率いるトリオ・ブルガルカが参加していて、その共演をとても嬉しく思ったものだった。初期からのサウンドからは狂気や混沌としたものは浄化されて、柔和な世界へと変化していったように感じた。それでも、あの天才的なヴォーカルは健在!音域が広く、そのお声をひとつの楽器の如く響かせることのできるお方。私の好きなヴォーカリストの多くは”表現者”的な方々が多いと指摘されたことがあり、自分でもそうなのだろうと思う。何故だかは分からないけれど。生理的にケイトの高音のお声が苦手なお方もおられるようで、強い個性と独自の世界観に満ちているので、好き嫌いの分かれるのも納得できる。私は初めて聴いた時から”好き!”と思った。それはもう直感的なものでしかない。そして、私の大好きな大切なものたちは大抵そんな直感によるもの。そして、次第に蘊蓄というか関連する事柄を知り得ることになる(忘れてしまうこともよくある)。

ケイトの本名は”キャサリン・ブッシュ”。デビュー曲の『嵐が丘(Wuthering Heights)』は映画の『嵐が丘』(ヒロイン名はキャサリン)からインスピレーションを受けて作られたものだそうだ。ケイトの年齢や作風から想像すると、ヒースクリフ役はローレンス・オリヴィエ版(最古の名作!)ではなく、ハマー・プロ版のティモシー・ダルトンが演じたものではないだろうかと思っている(間違っていたら教えて下さい~♪)。そして、『嵐が丘』と言えばエミリー・ブロンテの原作の英国文学(これまた、大好き!!)なので、全てが連鎖しているこのミラクル・ワールドに歓喜する。”ブロンテ姉妹”に関する想いはまた「ヨーロッパの憂愁庭園」に綴る予定(私の頭と心の中の好きなものが混乱する程絡まり合うので、自分で整理するための作業のようなもの)。

洋楽はイギリスから、映画はフランスから。そんな幼少期の体験はとても全てが新鮮で衝撃的だった。国籍でどうのこうの、ジャンルでどうのこうのという意識は薄いつもりだけれど、広義な意味での英国趣味とフランス贔屓は今も続いているようなのだ。


  1. 2007/06/06(水) 09:29:48|
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トム・ヴァーライン(TOM VERLAINE)を美しいと思った頃

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トム・ヴァーラインを知ったのはソロ・アルバムから。伝説のテレヴィジョンやネオン・ボーイズに出会うまでに少し時間が掛かった。そもそも、名前を知ったのはパティ・スミスのアルバムに参加(クレジット)されていたから。

大学に入ってすぐの事、先輩のお姉さまと出会い意気投合(今はフランスへ)。テープ交換を頻繁にしていた。私がトム・ヴァーラインの曲を入れていたので喜んで下さった。テレヴィジョンも既にお持ちでレアなシングルなども録音してくださった。そして、とっても才女なお方で幅広い知識をお持ち。当然多くの文学作品を読破されていた。ちょうど10歳程年上のお方だったので、教えて頂く事ばかりなのに私がエコ・バニの曲を入れたりすると、気に入ってくださったり、プログレもかなりお詳しいお方だった。北村昌士さんも好きだと仰っていた。”トム・ヴァーラインってヴェルレーヌの英語読みって知ってた?”と教えて頂いた。まだその時はフランス語を全く読めもしない頃だったので、”そうなのですか!!”とヴェルレーヌをちゃんと読もうと思った(こういう単純さの連続で生きている)。ギターの音色も好きだけれど、最初はあの変な歌い方というかお声に魅力を感じた。そして、1stアルバムのジャケットに写るお写真かな、やっぱり。神経質そうで繊細な感じ、でも穏やかそう。リチャード・ヘルもその後、すぐに好きになったけれど竹馬の友のようなお二人ながら、違うだろうなぁ...と察知できた。個性が強すぎるので共にバンドは長くは一緒でなかった。どちらが凄いとか優れているとか、そういう比較は好きではない。

パティの恋人だったと知り、なんてお似合いなのだろう~♪と思った。追体験ながら、私の好きなパンク・ロックの多くはニューヨークだった。イギリスのクラッシュは別として。共通して感じられるのは詩人ぽさかな。インテリジェンスとヒリヒリした神経が音から伝わるように思えた。内面は佇まいにも自然と表れるものだろうから、ルックスからも感じられるように思ったものだ。

ひょろりとした細長い体型と首。正しく繊細そうで美しいと思った。後に太ってしまうけれど。来日公演を京都で!早くからブラブラ会場付近を歩いていると、本屋さんにギタリストの方がいたのでドキドキして遠目から眺めていた。そして、時間が迫ってきたのでエレベーターに乗ると、なんと!!トム・ヴァーラインご本人が★そういう時って、”絶句!”という状態になりサインを頂くことも可能だったのに握手すら、一言も何も言えずに固まっていたという感じ。まだあまりにも若かった(普通、若い頃は恐れを知らないものなのかもしれないのに)。でも、今でも面と向かうと単語すら出てこないでモゴモゴすることが多い。性格的な問題かな?でも、ビックリ体験とその奇跡的な瞬間に出会えたことは現実のことだったのだと思うとそれだけでも嬉しい♪



  1. 2007/06/05(火) 15:43:12|
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boyfriend’s deadを聴くと涙が溢れるのはなぜだろう

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ボーイフレンズ・デッド:boyfriend’s dead

私が初めてスージー・スーを知ったのは一枚のお写真(こういうケースとても多い!)、そのお写真を見つけ出したらここに掲載させて頂きたいと思っている。そして、レコードを買った。スージーがセックス・ピストルズの親衛隊だったとその後知り、追体験(既にピストルズは解散していた)。また、その続きは後に書こうっと♪見つからないものが多過ぎる今日この頃(それだけ年月が経過しているとも言える、ガクン)。

boyfriend's deadという日本のバンドがいる、とても大好き!今日も朝から彼らの音楽を幾度と無く聴いていた。彼らの楽曲たちの多くは私の胸に突き刺さるというのか、色々なものが巡る世界を奏でるようなのだ。何故だかわからない。いつまで経っても”何故?”ばかり。でも、分からないことがあってもいいと思う。流れる涙はそのままにしておこうと決めたのだから。でも、何故だろう。好きな旋律と音色、男女混合4人、それも個性バラバラで素敵過ぎる。そんな彼らはライヴを重ねる度に上手くなり、前進してゆくようだ。私の青春に欠かせなかった音楽、それもとても好きな音楽たちを彼らの世界の中に見つけることができる、すんなりと私の心を掴んでしまうかのよう。シューゲーザーというジャンルを喩えに使っているバンド。SPACEMEN 3という英国バンドがいた。ここでも、ミーハーな私はソニック・ブームという中心人物のルックスに魅せられた。映像の悪いブートレグのライヴ・ビデオを買った。暗くてよくわからなかったけれど、彼らの音がVELVET UNDERGROUNDからの影響が大きいと感じることができた。デヴィッド・ボウイさま☆が坂本龍一さんのラジオ番組にゲスト出演した時の録音テープを紛失してもう10数年経つ(寂しいなぁ...また思い出してしまった、記憶の扉は突然開かれるものだもの...)。ボウイが最も大好きな曲ばかりを数曲流して下さった中に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの”ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート”(ボウイは昔からライヴでよくカバーしている)があった。細かい部分の記憶が間違っているかもしれないけれど、ボウイは”私がロックンロールを演ろうとするとこの曲になるんだ。”と龍一さんと会話していた。ボウイは新旧問わず、好きなアーティストについて好きだという(あまり悪口を言わないのだ、よく言われるのに)。そして、デッカ時代からの兄弟のようなローリング・ストーンズにも近いと思う。ボウイ自身が好きなロックンロールは既に存在していた。でも、元来アングラ演劇、絵画畑のボウイはリンゼイ・ケンプとの出会いも大きく、ロックンロールの世界に演劇的要素を取り入れた。革新的な名盤『ジギー・スターダスト』は永遠だろう!ジギーのライヴ映像を観ると夢見心地な少女たちの表情や泣き顔が印象的で、いつもあの場に私も居たかった...って思ってしまう。彼女たちのあの表情は心から溢れるもの。流れる涙も理由など分からないのだろうと思う。でも、心から溢れるものは流し出せばよいと思うし、すると浄化される。boyfriend's deadの曲を聴き私の溢れる涙の意味が分からないけれど、辛いものではない。とっても幸福だとも言える。彼らの演奏スタイル(特にリーダーのbghs君)は俯き奏でるギター。真っ白な靴ではない足元。ところが涙のあとには大空を見上げる光に向かうエネルギーのようなものを頂けるのだ。なので、とっても清々しい気分になる。決して明るいサウンドではないけれど、耳に感じる音からイメージされる世界。それは人それぞれだけれど、私は彼らの音楽に癒されるのだと思う。ありがとう♪

  1. 2007/06/04(月) 15:47:37|
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『マイ・プライベート・アイダホ』を再見してふと気付いたこと

マイ・プライベート・アイダホ デジタルリマスター版2枚組【初回限定生産 メモリアル・フォト集付】 [DVD]マイ・プライベート・アイダホ デジタルリマスター版2枚組【初回限定生産 メモリアル・フォト集付】 [DVD]
1991年・アメリカ映画
監督:ガス・ヴァン・サント 出演:リヴァー・フェニックス、キアヌ・リーヴス、キアラ・カゼッリ、ウド・キア

不思議なことに、このガス・ヴァン・サントの91年映画をテレビで偶然遭遇し再見。先日のカンヌでも60回記念賞を監督は受賞されて良かった。実は去年『愛とよばれるもの』も観ていたり、じんわりと故リヴァー・フェニックスのことが過ぎるようになっていた。当時から周りにファンの友人たちが居た。93年の突然の死に泣き崩れる女の子も知っている。追悼特集号の雑誌も覚えている。でも、私は彼の役者としての魅力や死を今頃感じ、今追悼しているような気分。93年10月、その2ヶ月前に私の父が他界した。そんな時期だったのだと今は結構落ち着いて思い出せるようになっている(進歩かな?)。そして、彼は間違いなく夭折の青春スターとして永遠な存在で、子役時代から僅か23歳という若さでの死までに残された映画と共に。

そこで、ふと。私には青春スターや青春アイドルという存在が今までいないことに気付いた。ボウイはカリスマ☆でも、何故、同世代の歌手や俳優に夢中にならなかったのだろう。異国のスターを好きになった順番は、アラン・ドロン~シャーロット・ランプリング~マレーネ・ディートリッヒ~ジョン・レノン~デヴィッド・ボウイ~ヘルムート・バーガー~ドミニク・サンダ~ダーク・ボガード~ビヨルン・アンドレセン~ルキノ・ヴィスコンティ~ブライアン・フェリー~ケイト・ブッシュ~ポール・シムノン~スージー・スー~デボラ・ハリー~ニコ~ブリジット・フォンテーヌ~フランソワーズ・アルディ~マリアンヌ・フェイスフル~パティ・スミス~ジェーン・バーキン~ピーター・マーフィー~ナスターシャ・キンスキー~ミレーヌ・ファルメール...この辺りから順番不確定。もう天国におられるお方や60代を超えるお方が多い。若手でビヨルンかピーター・マーフィーかシムノン、ケイトかミレーヌ。アラン・ドロンからディートリッヒは小学生、中学生直前にジョン、そしてボウイの衝撃はそれはそれは天にも昇るかの如く、経験したことない感動というのか心の喜びだった。それは彼らは表現者でありながら素晴らしい歌声とメロディを持っていた。

リヴァー・フェニックスを見つめていると、何故か私自身の青春時代が巡るのだった。その時に一緒にいた大切なものたちは今も変わらない。頑固者にも程があるし、もう時代に取り残されているとも言えそう。でも、好きなのだからどうしようもない恋の話。私は音楽や映画に恋をしてきたのだ。父の長嶋茂雄さんに対する眼差しや巨人を応援する姿、アラン・ドロンにほんわか~♪した表情でグラビアを眺める母。そんな様子は青春群像、スタアあるいは英雄って感じだったもの。私はそんな両親から多くの影響を受けてきたけれど、自分の同世代スターが希薄なのだ。挙げてみると『アナザー・カントリー』以降の英国勢の美しい男優方か、フランスだとジャン=ユーグ・アングラード、アメリカは特に少なくマシュー・モディーン...やっぱり少しお兄さま達ばかり。女優さまだとナスターシャとジョディ、エマニュエル・ベアールにキュンとなっていたけれど、アイドルではないのだ。誰かいないものかと辿って行くと、オスカルさまやトーマ・ヴェルナー、藤堂さんと竜崎麗香、フランシス、キャンディ・キャンディ...と漫画の世界におられた♪

全く『マイ・プライベート・アイダホ』はどうなっているのか?!リヴァー・フェニックスよりも無機質な感じのキアヌ・リーヴスの方が好きだったけれど、この映画にはゲイ・イコン的存在でもある異才ウド・キアやキアラ・カゼッリもいるし、男娼役で奇病のナルコプレシーという難役を演じるリヴァー・フェニックスが切なく美しい。彼の斜め角度からのある瞬間に刺さるものがある。出来ればセミロングの頃がより好き。演劇学校にも行っていない天性の才能はその役柄になりきるという事が出来、それが災いにもなったのだろうか?彼の死について、トニー・カーチスが「(ハリウッドには)妬み嫉みがいっぱいはびこっているからね。」とコメントされていたことを思い出す。どういう意味だろう?とても怖い気もする。まだ生きていたなら30代なのに...。キアヌもその後、ゲイ疑惑だのどうのこうのと酷評された時期があった。そんな報道を耳にする度に”ゲイでもいいじゃない。”って思っていた、綺麗だし♪多くの偏見や膨らむイメージの中に、人々の妬みや嫉みがあるのだろう。スターの宿命とも言えるけれど、私達の生活の中でも大なり小なりそういう日々を生きているのだと思う。そんな毒をやっつけるのは尊い”愛”しかない。様々な愛が人それぞれにある。気付かないだけですぐ傍にあったりもする。私は親愛なる友人たち(付き合いがとても悪い私なのに)や家族、そして映画や音楽や絵や詩篇たち、最近ちょっと遊んでいないお人形たち(一人、恩人が居る)...十分過ぎる幸福。辛いことを挙げる事は簡単で山のようにある。今私は体調不調だけれど心の平穏さを感じている、そういうお年頃なのかな?この先のことは分からない、計画性が全く無い。でも、出来るだけ想いに正直でいたいと願う。時に無理もしないといけないし、妥協も譲歩も必要だけれど、きっとどうにかなると思う。辛くて当たり前の人生だもの。私は両親の早過ぎる死から余った年月を頂こうと思っている。なので、持病もお友達だと思ってゆっくり共に生きてゆけそうな予感。”素晴らしき哉、人生!”♪

RiverPhoenix.jpg
ちょっとふっくらしていた頃の少年時代の名作『スタンド・バイ・ミー』より☆


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  1. 2007/06/02(土) 07:45:11|
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