
御大フォンテーヌさまをアイドルとお呼びするのもピンと来ないけれど、此処は私の思春期にとても感銘を受けたアーティストたち、または青春時代が甦るものたちを思いつくままに綴ってみよう〜と楽しいブログのはずが、妙に真剣になってしまう。茶化したり出来ない人達ばかりだし。以前、bghs君(ボーイフレンズ・デッドのリーダー)が私にとってのボウイさまはアイドルなのだと教えて下さった。どうも、ピンとは来ず畏れ多い存在なので身近に感じないし、感じたいとも思わない。しかし、最近色々考えたり綴ったりしてみるもので少し変わってきた。デヴィッド・ボウイという何者にも変えられない存在、それは私にとってのアイドルであり、ヒーローであり、ミューズであり、カリスマなのだ!全ての言葉が当てはまってしまうお方、なので14歳から今日まで一等大好きなお方なのだと☆
そこで、フォンテーヌさま♪もうジャンルを超えているのでシャンソンとかフレンチポップスとかアヴァンギャルドとか...吹っ飛んでしまう。パンクな存在とも言える。とても、ラディカルでありながら優しい(アレスキーも同様に)。それにおこがましいけれど、いつまでも可愛らしくて突飛で風変わり。ヴォーカルの衰え知らずだし、存在感は圧倒的だ。ボウイより少し遅れて16歳(高2の春)の時が出会い(『ラジオのように』)。『魅せられし声の美力』に綴ったことと重複するので簡潔に。そのお声と音の存在、間章氏のライナーノーツの活字、私の年齢...色々と理由は考えられるけれど、兎に角夢中になってそのレコードを聴いていた。NEW WAVEと呼ばれていた音楽たちと共に。その後、SLAPP HAPPYを知りダグマー・クラウゼにも夢中になった。その時も彼らの音楽はプログレやカンタベリーという音楽ジャンルなど超えていて、私にはNEW WAVEの音楽たちと同じように好きだった。国籍やジャンルなんて気にしない方が楽しいと思う。”好き!”と思って聴いたり観たりすればそれで楽しい。でも、アイドルは個性とルックスは重要!なミーハーな私。
- 2007/06/21(木) 15:15:31|
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[私の好きな詩]
『L’été l’été 』 Paroles de Brigitte Fontaine
そして 私はまだ生きている
白い砂 目を眩ませるような
そして 私は まだ生きている
蒼白い木 喘ぎにみちた
そして 私は まだ生きている
刈りとられた草
腕を広げた枝
風 風 風 風
暖められたつげの木
香ばしい風
夏 夏 夏 夏
もうすぐ夏
金色の風
腿のまわりの絹のスカーフ
埃だらけの噴水
熱っぽい舗道
そして私 私はまだ息をしている
身を屈めた小さなロバ
小さな植民地人よ
小石みたいな目の 小石みたいな目の
私は忘れてしまった
死んだ猫たちを
けれど猫たちはもっとはやくに忘れる
門のそばで
木が音をたてる
そして私達 私達はいつも生きている
いつも生きている
いつも生きている
1969年(1970)の名作『ラジオのように』に収録の名曲のひとつ。フォンテーヌのアルバムを少しずつ集める作業はゆっくりと、それも比較的早く揃うことができた。こういう運は強いのだろうか...何故か、聴きたいと探していると見つける事ができた、多くのこれまで。不思議な巡り合わせ。私が反応する歴史のひとつに1968年の”五月革命”がある。この『ラジオのように』はフランスで大ヒット!フォンテーヌは一躍その余韻の中のミューズとなる。ところが、彼女のこれまでの生き様は一貫している。そんな自己を破壊する作業へと向かう。なので、ショービジネスから忘れ去られてしまった時期もあるし、作品は酷評が続いた。10人足らずのファンの前でライヴをしたり。それでも、フランスという国はこの希有なアーティストを完全に忘れることはなかった。きっと、『ラジオのように』の世界を求めすぎたのだろう。そういう時代だったように思う。フォンテーヌのアレスキーとの公私に渡るパートナーは今日も続く。美しいおふたりだ。そして、旧友のジャック・イジュランは先に大スターになったけれど、売れない二人をバックアップし続けた。美しい友情。優れた才能、特異な唯一無二のブリジット・フォンテーヌ!初期の作品しか好きでないお方もおられるという。何故だろう?今も音は変わっても黒い服を着ない時があっても、変わらない。何故なら、アレスキーとフォンテーヌはいつも原点に立ち返る。それは彼らのショービジネスの世界を見た上での決意のようなもの。自己というものを常に大切にしている。なので、いつまでもお二人は崇高な存在なのだと思う。
- 2007/06/21(木) 09:34:36|
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ブリジット・フォンテーヌ 「ラジオのように/COMME A LA RADIO」
1969年
女性ヴォーカルの会を作りたいって数人のお友達にお話してみると予想外に大きな反応を頂き歓喜したものだった。そして、名前は「BRIGITTE」と迷わなかった。「KATE」でも良かったし「MYLENE」でも良かったけれど、フランスの音楽に興味を持ち始める機会を与えて下さったのはBRIGITTE FONTAINEだから。きっと、お婆さんになっても聴いていると思う。あのお声が大好きなのだ。好き過ぎて何を書けば良いか分からないので思いつくままに。
リアルタイムではない「ラジオのように」をジャケ買いした。伊丹の星電社の片隅に再発盤が新入荷のコーナーに有ったのだ。不思議な悦ばしき出会いは思いがけずやって来た。とにかく「わぁ〜!これ買う!!」という感覚でレジに持っていった様に思う。全くその時はこの作品が名盤だということすら知らなくて、さらにフランス人であるということさえ...。針を下ろして音が流れてきた時のあの奇妙な気持ちを何と喩えればよいのだろう...「なんだろう?この音楽は。」「よく分からないけれどかっこいい!」「大人になった気分」こんな印象を持った。そして、間章氏のライナーノーツをじっくり拝読していく内にすっかり私はフォンテーヌに魅了されていたのだと思う。あの文章の持つ意味は私にはあまりにも大きなものだった。
当時、英国を中心としたニューウェーヴの音楽が好きでラジオは毎日聴いていた。雑誌も細かくチェックしていた。16歳の私は学校では音楽の会話の出来るお友達がほとんど居なかった。みんな恋愛や日本の音楽やアイドルのことで楽しそうだった。そんなお話を聞きながらも早くお家に帰って好きな音楽が聴きたい!と思ったり、気分が乗らない会話に時間を費やすより図書館で過ごす事を選ぶ様になってしまった。休日は数人で映画に行く事もあったけれど、次第に私の観たい映画では無いことに忠実な態度を取り始めていた。今振り返ってみて、この時期の私はとてつもない速度で音楽や文学や映画といった今の私の宝物たちに接近して行ったと思える。そして、「ブリジット・フォンテーヌ」という風変わりなアーティストの存在の衝撃はボウイ様との出会い以来の事。私にとってのあるキーであると言える。そうとしか思えない。「ヴァガボンド」という言葉に憧れたけれど私には持ち合わせてはいないと今も思う...。訳詞を読みながら浮かぶ不可思議な幻想。ラディカルであり猥雑であり、でもあの優しさは今も私の心に必要なのだ。一等好きな作品は「III」。「はたご屋」ばかりを何度も繰り返し針を置き聴き入った。このままだと狂ってしまうかも?というくらいにその世界に引き込まれてしまった。正しく声の美力なり!というかこのお方は魔力の様だ。今も御大フォンテーヌは健在だけれど、あの空気感はあの時代のものだったのだと思う。誰にも時代の空気感は再現不可能なのだ。特にあの様な時代は...なので一層憧れるのかもしれない。
アレスキーやジャック・イジュラン、ピエール・バルーにも傾倒していく中、セルジュに出会い、バルバラ、はたまたカトリーヌ・リベロに出会う。映画ではゴダール!文学はランボーからネルヴァルに向かっていった。この選択肢が今の私に繋がっている大切なキーだと思うし、もうどうしようもない後戻り不可能な組み込まれてしまった何かの様にも。たかが私個人の事ながら、音楽やある一曲が人生を変えるきっかけになる事を私は感じる事が出来たのだ。良かったのか?悪かったのか?はどうでもいい。フォンテーヌのお声は今も時に少女の様に可愛らしく響き、かつ厳しいアナーキストな面持ちも消えてはいない。過激な優しさをこれ程までに表現出来るヴォーカリストを私は知らない。シャンソンというカテゴリーからは大きくはみ出した異端児フォンテーヌ。そんなカテゴリーを軽く飛び越えるフォンテーヌを永久に愛す。
- 2005/01/03(月) 09:18:41|
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