★音楽と映画の宝石箱★ナルキッソスの鏡あるいは自惚れ鏡☆愛してやまない世界に愛を込めて♪

楽の音は、小声で歌われる歌詞が消えても思い出の中でこだまする。by パーシー・ビッシュ・シェリー

妖しくも美しき英国バンドJAPAN★

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懐かしいようでついこの間のことのようでもある、私的なアイドル(のような)たちや思春期の想い出たち。この英国バンドが登場しなくては!当時、私の自転車で行動出来る範囲のお買い物コースは限られていた。伊丹の星電社か新伊丹の個人のレコード屋さん(店名を失念)、少し遠出をして塚口のミドり電化。ほとんどが日本盤。星電社とミドり電化には隅っこに輸入盤コーナーがあった。最初はそのコーナーを見ることもなく、先ず”デビッド・ボウイー(こういう表記だった)”のコーナーに向かう。何処にもボウイのコーナーは有ったけれど、数枚しかなく全く初期の作品がなかった。でも、毎月のお小遣いから一枚ずつ(高校生になるとお小遣いが増えたので、日本盤一枚と少し余りがあったけれど、この頃は一枚だけ)。ミドり電化のお兄さん(お若目のおじ様)は特にウロウロ探してる私に親切にして下さった。「ボウイが好きなんですね。」と言われ「はい、でもまだ少ししか持っていません。」と。「ヒーローズ」をコーナーからお持ち下さり薦めて下さった。そして、購入。段々音楽雑誌で知識だけ増えてゆき、ボウイの初期の作品は無いのでルー・リードやイギー・ポップ(ボウイがプロデュースしたと知ったので)をメモしてお店に行った。「このレコードを探しているのですが...」とそのお方にメモを渡す。「ああ、廃盤ですね。」(この繰り返しが幾度も続いた。)お目当ての作品が買えないので、輸入盤コーナーを見てみた。そこで「JAPAN」(2nd)を見つける。躊躇などなく買った。大当たり〜♪

1978年のアルバム、US盤(後からそういう事を知る)だったので1000円と数百円位だったので、安いと驚いた。日本盤は大抵3000円位だった。音楽雑誌でこのアルバムの邦題を知る、「苦悩の旋律」。きゃぁ〜!素敵と思った。ジャケットに映る長髪のデヴィッド・シルヴィアンも綺麗だと思ったけれど、次第にミック・カーンがメンバー中で一番のお気に入りとなっていった。眉毛の無い妖しい感じとかに不思議な魅力を感じたのだろうか...よく分からない。「ミュージック・ライフ」だったと思うけれど、綴じ込みポスターが付いていた号があった。今では切り取ったりしないのだけれど、その当時はそのポスターを切り取り自分のお部屋の壁に貼ったりしていた。私はアーティストのポスターを貼った記憶は数える程。最初は小さめのパネルの郷ひろみ(小学生の頃)、そして、すっかり洋楽ばかり聴くようになってからはこのJAPANが最初。小さめのものだった。そして、ほんの一瞬,GIRLというバンドの縦長のポスターを貼ったこともある。ボウイのポスターは付録には付かないので、母に梅田のポスター専門店まで連れて行って貰った。大きなポスターが2種類売っていた。どちらも欲しかったけれどパネルにして貰って電車で持って帰るのでどちらか1つ。選んだものは今も私の宝物。velvet moonのお店のオープン時からずっと飾ってあったもの。多くのお客さまから売って下さいとお願いされたけれど、母に買って貰ったものなのでお断りさせて頂いていた。

ある日、父が「郷ひろみから今はデビッド・ボウイーかぁ...(笑)」と言われたことがある。今もHIROMI GOは好きだけれど、あまり知らない。でも、遡れば私はジャニーズ好きなのだ。それは郷ひろみから始まる(フォーリーブスは少しだけ記憶にある)。アランやジュネという雑誌を購入していた。アランには毎号人気投票があった。外人タレントと国内タレントに分かれていた。外人タレントの1位はボウイだった(途中からシルヴィアンに抜かれた)。日本では郷ひろみやジュリーが上位だったので、私は真っ当だったと思う。アランかジュネか忘れたけれど(それもどこかにしまってあるはず)、萩尾望都さまが映画のインタビューに答えるような記事があり、”好きな男優は?”というような質問だった。”デビッド・ボウイー、ピーター・オトゥール、藤岡琢也”だった(オトゥールだけ自信がないけれど、きっとお好きに違いないと思う)。そして、渋いなぁ〜さすがだなぁっと、私も藤岡琢也さんが気になるようになっていた。当時はよくドラマやコマーシャルにも出ておられたので。

JAPANは何処へ?...と取り留めの無い思いつくまま綴っているとすっかり”耽美派少女のための変態雑誌”(友人がそう呼んでいた)のお話へ。この雑誌を購入するのは大変だった。その友人の女子も購読者だった。大きな書店にしか置いていなくて、塚口のサンサン・タウンの中の広めの本屋さんにおそらく2冊か3冊程入荷するというもの。それも発売日が未定だった。その女子は塚口に近く有利だった。大抵先に購入し、”売ってたよ”と教えて貰い自転車で大急ぎで買いに行く私だった。残念ながら買えない号もあったけれどその女子に貸してもらったりして読んでいた。懐かしいなぁ...。ジュネの方は特に漫画が主体(漫画を断った私なのに)で、今で言うところの、ボーイズ・ラブというジャンルのお話が多かった。先日、この”はてな”サイトのメンテナンスの情報を読んだりしていた時に、どこかに話題になってるキーワードのようなものが載っていた。”やおい”の対義語は”白泉男子”とあったので、何故かワクワクしてどうしてなのか!(ちょっとピンと来たけれど)読んでなるほど〜と納得したり、はて〜?と思ったりした。こういうお話はとってもお詳しい友人がいるので、今度また教えて頂こうと思う。

結局、こうして今の私もどうも10代からの延長のまま年を重ねているのを自分で綴っていて痛感する。面白いようでもあり馬鹿みたいでもあるけれど、好きなもの、きっと”美しい”と思う基本的なものは変わらなくて、いつの間にか自分なりの好きな世界が繋がり絡まり深まっているだけなのだろうな...と思う。もう解散してしまったJAPANだけれど、今も大好き!ミック・カーン(とても上手いベーシスト!とも知らず)に憧れ、通販で適当に赤いベースを買って母に叱られた。教本も買ってちょっと音を出して遊んでいたけれど、そのベースが重くて重くて!結局、”JAPANのコピーバンド”(女子ばかりの)の夢もあっさり消え去り、お年玉で購入したそのベースはいつの間にか弟のものになってしまった。そして、私はずっとリスナー専門で今日に至る。


  1. 2007/06/29(金) 15:13:23|
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北村昌士氏への追悼のような.....

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「想い出」

北村昌士氏が昨年(2006年)6月17日、心臓疾患により逝去された。享年49歳、早世だとも思い、長く生きるには神経とお身体が持たないお方だとも感じる...でも。でも、と私は悲しい。もう一年が経過したけれど、まだ重くのしかかるものは何だろう。YBO2もCANIS LUPASもとても好きだった。日本のインディー・レーベルではトランス・レーベルに最も思い入れがある。既に聴く音楽は洋楽ばかりの私だったけれど、北村さんのレーベルだと思うと肩入れしていたのかもしれない。

相方との共通の友人で元々は音楽活動をしていた素晴らしいギタリストがいる。当時からその友人は数少ない私の好きな世界の理解者のお一人だった。今もとてもお優しく気にかけていて下さる。IL BONEの箕輪さんのドラムが好きだというお話もよくしていた。私はクリス・カトラーやフレッド・フリス達の”レコメンデッド”レーベルの音楽もとても好んでいて、箕輪さんのドラムの音はどこか”プログレ”な匂いがした。PHEWもとてもとても大好きな女性アーティストでPHEWのアルバムでも箕輪さんのドラムは聴け歓喜していた。そして、私が大の『Fool's Mate』の愛読者であることも十分ご存知なお方で、いまだにお会いしてどなたかに紹介して頂く折には決まって、「毎日、『Fool's Mate』を持ち歩いていた子です。」と言われて苦笑する。大阪のエッグプラントだったと思う、CANISと割礼のライヴがあるというので、誘って頂き相方と3人で向かった。初めてあの北村さんのライヴが!(割礼はライヴ後、さらに好きになった)。そんな思いで早目に待ち合わせて方向音痴な私は付いて行った。もうワクワク、ドキドキ♪すると、その友人は楽屋にツカツカと入って行き北村さん(リハーサル中だったかも?)を呼び出してきた。私はその友人に呼ばれ「10年来のファンで、こんなんやけどめっちゃ音楽とか色々詳しいねん。」こんな変な紹介をされて息が止まりそうだった。リハーサルが終わったかどうかも分からないのに、ご丁寧にお辞儀をして下さった「はじめまして、どうもありがとう。」と小さなお声だった。まだ、開演前だったので、出演者の皆様とスタッフの人数をお聞きして、自動販売機で幾種類かの飲料水をお持ちさせて頂いた。私はもうそれで十分で、私如きをわざわざそんな時間の無い時に紹介して頂いて感謝している。

ライヴが終わり、美しい北村さんを追いかける女子ファンも多く”凄い人気!流石だなぁ〜”とやや圧倒されてしまった。すると、今度は相方が「自分、北村さんにサイン貰えたら言うとったやん。行こう!」とタクシーで会場を出られる寸前に、再度ご挨拶させて頂き鞄に入れていた『キングクリムゾン』の本を出して「サインをして頂けますか?」と伝えると、にこやかな表情で「久しぶりに見たよ。こんな本まだ持ってる人がいたんだね。」と。謙虚なお言葉とその繊細な仕草が印象的だった。タクシー内には奥様もお待ちなのであまり時間を取ってはいけないと察知した。そして、他のファンのお声と共にタクシーは去って行った。

ところが、まだ続き、何故か打ち上げに私達3人も同席することになり、私は相方と箕輪さんが両隣、テーブルの真正面には北村さん、そして奥様。反対側の横には友人。相方の横には割礼の宍戸さん・・・何を食べたのかも覚えていない。何処に行ってもマイペースな相方は北村さんにクリムゾンのお話をしたりしている。段々プログレ談義になり知らない名前も出てくるのでただ聞いていた。でも、CANISの音楽はプログレだとライヴを観ても感じたのでそんなお話を皆でしていると、次号にその時の会話らしきことが載っていて嬉しかった♪北村さんは始終あまり何も食べずにウォークマンみたいなもので音楽を聴きながら時折小さなお声でお話されていた。真ん前におられるのにロクに喋ることも出来ない私に、友人が「何か訊きたいことないか?」と言うので、ずっと気になっていたこと、「新しく御本を執筆されるご予定はありますか?」と。バンドやレーベルで多忙な毎日だろうに、間の抜けたことをお聞きした空気だった。でも、私はベースでヴォーカルの北村さんよりも、物書き、北村昌士さんが好きだった。先にあの文章、文体に衝撃を受けたのだから。その上美形なお方と知りボウイ・ファンでもあられるのでますます好きになっていたという感じ。

毎日が精一杯な感じだったと思う。お子様が生まれる直前頃だったし。「書きたいんだけどね...」と仰ったけれど、その後拝読することはなく、北村さんのライナーノーツの付いたレコードや雑誌のテキストなどを今も読み返すことは可能。”活字には力がある”と実感した最初の音楽評論家だったと思う。ご自分では音楽評論家とは思ってもいないようなお方だったと思うけれど。難解な文章は時に頭が割れそうになったこともある。でも、あの伝わるものはなんだろう...なんだったのだろう?もう少し古い世代に、間章氏がおられた。私がブリジット・フォンテーヌを大好きになってゆくきっかけは、そのライナーノーツの間さんの文章の魅力だった。そして、このお方の偉業を後追いした頃にはもうお亡くなりになった。今も活字を読むことが好き。なので、こうして拙い想いでも書き留めたくなるのだろう。ノートはもうごちゃごちゃで何処に何をメモしたか、時に溢れる感情を書きなぐってるような箇所も発見すると、我ながら阿呆だと苦笑する。でも、その時の私の感情や感想なのだから、それも時間は経過すれども、私なのだろう。ピーター・ハミルを教えて下さったお友達のお姉さま。そして、北村さんが敬愛されていたお方でもある。『Fool's Mate』はプログレ〜NEW WAVE〜日本のインディーズ・シーンの最新音楽情報の宝庫だった。『REMIX』になって暫くしてもう、音楽雑誌は買わなくなった、定期的には。そして、北村さんの後に影響というか文章の衝撃や情熱を感じる音楽評論家さんには出会っていない。素晴らしいプロのライター方の評論やレビューは沢山在るけれど、私の個人的な活字の衝撃!それも音楽を通しての。その様なお方はもういない。あまりにも私的な感性や文章との相性だとも思うけれど。浅田彰氏の文章も好きだった。北村さんとのプロジェクトもあったなぁ...と思い出す。

追悼って...とても難しい。人の死はそれぞれ。ただ、好きなお方がだんだんお亡くなりになってゆく。気持ちが追いつかない感じだし、実感が伴わない。早く、大好きなフランスの名優!ジャン=クロード・ブリアリの死も追悼せねば!と映画ブログに2.3行だけ綴って未公開放置したまま...悲しいな。でも、残されたものを大切にしたいと思う。


  1. 2007/06/20(水) 15:18:08|
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デュラン・デュラン:Duran Duran★ニュー・ロマンティックなロンドンを夢見て

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パンク以降、70年代後期から80年代初頭にかけて特にヨーロッパを中心に様々な音が溢れ出す。New Waveと一括りにされていても。まだ毎月のお小遣いからレコードと音楽雑誌を買うのが精一杯の頃。門限も厳しかったので夜の外出は全く禁止だった。なので、雑誌やラジオなどで次々と紹介される新しいバンドやアーティストたち、特にロンドンに夢を馳せていた。これまた、ルックスから(MTVだろうか?まだブレイク前のテレビで観たライヴ映像だった)直ぐに要チェック!なバンドを発見。デュラン・デュラン☆1stアルバム前だったのかもしれない。ひらひらしたブラウスにレザーパンツ姿(メイクもしていた)の美麗な雰囲気にすっかり釘付け!翌日、学校に行きそのバンドについてお話していた(一人気の合う情報交換できる女子が違うクラスにいた)。もうひとつ反応が薄かった(彼女はワイルドな感じのファンだった)。雑誌やラジオが伝える毎夜のロンドンでのニュー・ロマなクラブ情報を羨ましく読んだり聞いたりしていた。デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージック、T.REXなどの70年代初期のグラム・ロックと共に流れるというニュー・ロマンティックと呼ばれていたムーブメント。その中に、デュラン・デュランやヴィサージ(スティーヴ・ストレンジ)や、カルチャー・クラブ(ボーイ・ジョージ)、ウルトラヴォックスやデペッシュ・モードなどの名前も...そして、かなり大ヒットしたスパンダー・バレーやABC、ソフト・セル、ヒューマン・リーグ、クラシックス・ヌヴォー(クラシックス・ヌーヴォー)などの華やかな存在がアメリカのヒットチャートに登場してゆく頃♪

デュラン・デュランは初期からボウイ・フォロワー(ニューウェーヴの父なのでフォロワー多数!)だと公言していた(カバー曲もある)ので、さらにお気に入りに♪それに綺麗なのだ。私はその前にジャパンのファンになっていたけれど、彼らは早過ぎた(またその内登場)。でも、”ロンドンにはどうしてこんなに綺麗な男の人達がいっぱいいるのだろう〜♪”と思っていたし、ロンドンとはそういう特別なものに思えた。デュラン・デュランはバーミンガムの出身で、結成は1979年。ボーカルのサイモン・ル・ボン、ベースのジョン・テイラー、ギターのアンディ・テイラー、キーボードのニック・ローズ、ドラムのロジャー・テイラーの5人の頃(この5人での再結成来日公演もお友達と一緒に行き、記憶に新しいもの)が最強かな。私は最初からジョン・テイラーが好き。アルバム『リオ』辺りからだんだん人気も高まり自然と周りにファンの女子が存在していた。ニック・ローズがダントツの人気だったようだ。5人ともそれぞれ素敵だったけれど、私は前髪を長く重めに横に流し、長身で口元の赤い、白いブラウス姿のジョン・テイラーがメンバー中最も好きだった。あの前髪を真似たくて朝ドライヤーで流れを作って登校したものだ(髪が強くはない方なのですぐにそのセットは形を無くしていたけれど)。

MTVが人気のあった頃。音楽番組に来日アーティストが出演したりしていたことを思い出す。「夜のヒットスタジオ」とか好きだったなぁ♪「11P.M.」(表記は合ってるだろうか?)も学校では話題になっていたけれど、とにかく厳しく夜の番組は見せてもらえずにいた。なので、この有名な番組を観たのは数える程だったけれど、リップ・リグ&パニック(だったと思う)のスタジオ・ライヴを途中から少し観たことがある。ファンクやジャズの要素が入った聴いたことのない音楽だった。バウ・ワウ・ワウだったのかな?(どなたか覚えておられたら教えて下さい!)こうして、とても異国に魅せられ新しい続出する音楽たちにとても貪欲になっていた頃が昨日のことのように思えるのだから不思議♪


  1. 2007/06/07(木) 15:32:01|
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トム・ヴァーライン(TOM VERLAINE)を美しいと思った頃

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トム・ヴァーラインを知ったのはソロ・アルバムから。伝説のテレヴィジョンやネオン・ボーイズに出会うまでに少し時間が掛かった。そもそも、名前を知ったのはパティ・スミスのアルバムに参加(クレジット)されていたから。

大学に入ってすぐの事、先輩のお姉さまと出会い意気投合(今はフランスへ)。テープ交換を頻繁にしていた。私がトム・ヴァーラインの曲を入れていたので喜んで下さった。テレヴィジョンも既にお持ちでレアなシングルなども録音してくださった。そして、とっても才女なお方で幅広い知識をお持ち。当然多くの文学作品を読破されていた。ちょうど10歳程年上のお方だったので、教えて頂く事ばかりなのに私がエコ・バニの曲を入れたりすると、気に入ってくださったり、プログレもかなりお詳しいお方だった。北村昌士さんも好きだと仰っていた。”トム・ヴァーラインってヴェルレーヌの英語読みって知ってた?”と教えて頂いた。まだその時はフランス語を全く読めもしない頃だったので、”そうなのですか!!”とヴェルレーヌをちゃんと読もうと思った(こういう単純さの連続で生きている)。ギターの音色も好きだけれど、最初はあの変な歌い方というかお声に魅力を感じた。そして、1stアルバムのジャケットに写るお写真かな、やっぱり。神経質そうで繊細な感じ、でも穏やかそう。リチャード・ヘルもその後、すぐに好きになったけれど竹馬の友のようなお二人ながら、違うだろうなぁ...と察知できた。個性が強すぎるので共にバンドは長くは一緒でなかった。どちらが凄いとか優れているとか、そういう比較は好きではない。

パティの恋人だったと知り、なんてお似合いなのだろう〜♪と思った。追体験ながら、私の好きなパンク・ロックの多くはニューヨークだった。イギリスのクラッシュは別として。共通して感じられるのは詩人ぽさかな。インテリジェンスとヒリヒリした神経が音から伝わるように思えた。内面は佇まいにも自然と表れるものだろうから、ルックスからも感じられるように思ったものだ。

ひょろりとした細長い体型と首。正しく繊細そうで美しいと思った。後に太ってしまうけれど。来日公演を京都で!早くからブラブラ会場付近を歩いていると、本屋さんにギタリストの方がいたのでドキドキして遠目から眺めていた。そして、時間が迫ってきたのでエレベーターに乗ると、なんと!!トム・ヴァーラインご本人が★そういう時って、”絶句!”という状態になりサインを頂くことも可能だったのに握手すら、一言も何も言えずに固まっていたという感じ。まだあまりにも若かった(普通、若い頃は恐れを知らないものなのかもしれないのに)。でも、今でも面と向かうと単語すら出てこないでモゴモゴすることが多い。性格的な問題かな?でも、ビックリ体験とその奇跡的な瞬間に出会えたことは現実のことだったのだと思うとそれだけでも嬉しい♪



  1. 2007/06/05(火) 15:43:12|
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boyfriend’s deadを聴くと涙が溢れるのはなぜだろう

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ボーイフレンズ・デッド:boyfriend’s dead

私が初めてスージー・スーを知ったのは一枚のお写真(こういうケースとても多い!)、そのお写真を見つけ出したらここに掲載させて頂きたいと思っている。そして、レコードを買った。スージーがセックス・ピストルズの親衛隊だったとその後知り、追体験(既にピストルズは解散していた)。また、その続きは後に書こうっと♪見つからないものが多過ぎる今日この頃(それだけ年月が経過しているとも言える、ガクン)。

boyfriend's deadという日本のバンドがいる、とても大好き!今日も朝から彼らの音楽を幾度と無く聴いていた。彼らの楽曲たちの多くは私の胸に突き刺さるというのか、色々なものが巡る世界を奏でるようなのだ。何故だかわからない。いつまで経っても”何故?”ばかり。でも、分からないことがあってもいいと思う。流れる涙はそのままにしておこうと決めたのだから。でも、何故だろう。好きな旋律と音色、男女混合4人、それも個性バラバラで素敵過ぎる。そんな彼らはライヴを重ねる度に上手くなり、前進してゆくようだ。私の青春に欠かせなかった音楽、それもとても好きな音楽たちを彼らの世界の中に見つけることができる、すんなりと私の心を掴んでしまうかのよう。シューゲーザーというジャンルを喩えに使っているバンド。SPACEMEN 3という英国バンドがいた。ここでも、ミーハーな私はソニック・ブームという中心人物のルックスに魅せられた。映像の悪いブートレグのライヴ・ビデオを買った。暗くてよくわからなかったけれど、彼らの音がVELVET UNDERGROUNDからの影響が大きいと感じることができた。デヴィッド・ボウイさま☆が坂本龍一さんのラジオ番組にゲスト出演した時の録音テープを紛失してもう10数年経つ(寂しいなぁ...また思い出してしまった、記憶の扉は突然開かれるものだもの...)。ボウイが最も大好きな曲ばかりを数曲流して下さった中に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの”ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート”(ボウイは昔からライヴでよくカバーしている)があった。細かい部分の記憶が間違っているかもしれないけれど、ボウイは”私がロックンロールを演ろうとするとこの曲になるんだ。”と龍一さんと会話していた。ボウイは新旧問わず、好きなアーティストについて好きだという(あまり悪口を言わないのだ、よく言われるのに)。そして、デッカ時代からの兄弟のようなローリング・ストーンズにも近いと思う。ボウイ自身が好きなロックンロールは既に存在していた。でも、元来アングラ演劇、絵画畑のボウイはリンゼイ・ケンプとの出会いも大きく、ロックンロールの世界に演劇的要素を取り入れた。革新的な名盤『ジギー・スターダスト』は永遠だろう!ジギーのライヴ映像を観ると夢見心地な少女たちの表情や泣き顔が印象的で、いつもあの場に私も居たかった...って思ってしまう。彼女たちのあの表情は心から溢れるもの。流れる涙も理由など分からないのだろうと思う。でも、心から溢れるものは流し出せばよいと思うし、すると浄化される。boyfriend's deadの曲を聴き私の溢れる涙の意味が分からないけれど、辛いものではない。とっても幸福だとも言える。彼らの演奏スタイル(特にリーダーのbghs君)は俯き奏でるギター。真っ白な靴ではない足元。ところが涙のあとには大空を見上げる光に向かうエネルギーのようなものを頂けるのだ。なので、とっても清々しい気分になる。決して明るいサウンドではないけれど、耳に感じる音からイメージされる世界。それは人それぞれだけれど、私は彼らの音楽に癒されるのだと思う。ありがとう♪

  1. 2007/06/04(月) 15:47:37|
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ブライアン・フェリー:BRYAN FERRY

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ロキシー・ミュージック:ROXY MUSIC
「ストランディッド」

私のレコード棚を眺めると圧倒的に女性ヴォーカルものの占める割合が大きい。でも、ある一角に静かに結構な年月を一緒に過ごしている人達が居る。そこにはロキシー・ミュージックやブライアン・フェリーの作品達も。デビッド・ボウイやケイト・ブッシュよりも少し遅れて聴き始めた。初めて買ったロキシーのレコードは「フレッシュ&ブラッド」1980年だ。ここからがリアルタイム。そしてジョンが射殺された年...ラジオで知ったのだった。オールナイトニッポンという番組だったと思う。私は試験中で夜中も勉強していた。酔いどれて悲しい怒りの様なお声に驚いた。内田裕也さんだった、「ジョンが死んだんだよ...」と。そのお声には哀しみとやるせなさと怒りと動揺等が入り混じったものを感じずにはいられなかった。もちろん、私はその後数年ジョンのアルバムに針を下ろすことが出来なかった。直ぐに「ジェラス・ガイ」を追悼曲として発表し、その後あの大ヒット作「アヴァロン」をリリースし解散するロキシー。

なので、ロキシーを好きになって僅かな時間しかバンドは存在しなかった。でも、その後も少しずつ過去の作品を買い集めた。2枚目に買ったのは「サイレン」(ジャケットに写る美しい人魚に扮しているのはかのジェリー・ホール)、そして、この「ストランディッド」。今ではオリジナル・アルバム、ソロ・アルバム共にやっと追いついたという感じ。まだまだ消化しきれてはいないのだ。まだまだ聴きたい!フェリーの美意識に惹かれ続けている。ソロも好きだけれど敢えてこの作品を選ぶのは「A SONG FOR EUROPE」(邦題:ヨーロッパ哀歌)が収録されているから!ロキシーの数ある名曲中、やっぱり一等好きな曲なのだ。そして、続く「MOTHER OF PEARL」〜「SUNSET」という幕切れがたまらなく好き!

「A SONG FOR EUROPE」の終盤で繰り返される悲痛な歌唱。特にラテン語とフランス語で歌われるその箇所は意味も分からずとも、何か崩れ行く悲哀の様な世界にただただ引き込まれるのだった。もう二度と帰り来ぬものへの哀惜、残されたのは想い出だけ...こういうロマンが好きな私は必然的にフェリーの詞の世界が好きになる。闇や幻想、夢想家の孤独というだろうか?あまりフェリーの歌唱評価はされないかな?なんて思っているけれど、私はとても凄いと思うのだ。呟くような歌い出しの部分から後半の悲痛な叫びの様なお声、そして口笛。この曲に感動した私は放送部に友人が居たので学校にレコードを持って行きリクエストした。結構採用して貰えていたのだけれどこれは却下されてしまった。「暗い。なんか女々しい感じ。」この様な事を言われたものだ。私はこの女々しいところも好きだったりするのだけれど。まぁ、お昼休みのくつろぎの時間には似合わなかったと今なら思うけれど。

美術学校出身のアーティストは多い。フェリーもそんなバックボーンから見事な美的感覚に長けたお方。特にロキシーの1stから次々とアルバムのカバーガールに起用するセンスの良さ、黄金期のハリウッド映画からウォーホルに至るアメリカのアートシーン。それらに加え奇抜なアイデアがキラキラ。まだ若かった私はロキシーのアルバムをレジに持って行く時恥ずかしかった。なので、「カントリー・ライフ」を手にしたのはずっと後になってしまった。カリ・アン、アマンダ・リアに続きマリリン・コールが今作のモデルに選ばれた。プレイボーイ誌で当時人気抜群だった方だそうだ。美しく豊かなブロンドの巻き毛と野性的な雰囲気。変わったメイク(このメイクはピエール・ラロシュ:ボウイの「ピンナップス」でも有名)、綺麗な長い足に見とれながらも決して鏡の国へは行けない...。

1972年にボウイの前座としてデビュー。今年フェリーは59歳。ますますダンディズムの漂う素敵なお方。地味ながらも好盤を発表し続けている。私はおそらく「グラムロック」という括りに無関心に近いと思う。当時を知らないからかも知れないけれど、そういうイメージで捉えるには超越したものがあると思うから。ロキシーもボウイもT.レックスも。そうだ!ロキシーの2ndまではかのブライアン・イーノも在籍していた。まだ髪が有った頃。そして、フィル・マンザネラやアンディ・マッケイの存在も忘れてはならない。個人的には天才美少年!と絶賛されていたエディ・ジョブソンの起用も早かったと喜んでいる。1stのプロデュースはピート・シンフィールド(キング・クリムゾンの作詞家として有名!)、そして2ndの途中からはクリス・トーマスが担当。アート・ロック〜プログレという流れを汲みながらもフェリーのロマンティシズム溢れる美学はある意味とてもポップ!こういうポップさ、ダンスミュージックがとても好きなのである。


★2004年7月11日に「BRIGITTE」サイト内で綴ったものです。暫くするとリニューアルでコンテンツが消える予定なので、こちらに残しておきたいと思います。


  1. 2004/07/12(月) 09:03:26|
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