アラン・ドロン(72歳になられた)、やっぱり素敵だった♪昨日早朝にようやく観ることができたのは、お友達がわざわざ送ってくださったお陰。ありがとうございます!!やはり、ビストロSMAPが終わった後から観ていたと確信できた。でも番組は最後まで楽しかったけれど。
あっという間のコーナーだったけれど、収録時間と放送時間は違うので放送されなかった場面でのドロンのお話もお聞きしたかったなぁ...と欲張る。ブイヤベースやスフレの細かいチェックの場面、
アラン・ドロンとネームの入った時計を2つ用意されていた場面とか...楽しくて笑いながら拝見していた。少しだけれど嘗ての作品の映像なども流れ嬉しかった。何より嬉しかったのは、私が今でも一等大好きな日本の男優さまである
三船敏郎さんのお話が出たこと。『レッドサン』はドロンの熱望でミフネ共演が実現したと以前、何かで読んでいた。ミフネは神のような存在だ。とか、”男から見てカッコイイ男”は”ミフネだなどと語っておられたもので、私はまるでまだ三船さんが生きているかのような気分になった、と同時に両親のことも。
アラン・ドロンがご自分の出演作で好きなものを5つ挙げておられた。
1. 太陽がいっぱい
2. 太陽が知っている
3. 山猫
4. 暗黒街のふたり
5. 高校教師
どれも大好き!私はどうかなぁ..と考えてみた(今の時点、気分で)。
1. 太陽がいっぱい
2. 冒険者たち
3. 仁義
4. 若者のすべて
5. 太陽が知っている 山猫 サムライ パリの灯は遠く スワンの恋 フリック・ストーリー ....と決められない。どれも好きなので♪
興味深いお話や胸に響いたお言葉が短時間の中にいくつもあり、ドロンの偉大さを痛感していた。アクターとコメディアンの違いのお話で、ドロンは自ら演技をしたことはないと語る。それぞれの役と共に生きるのだと。カッコイイ!!ジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラもそうだと。ドロンの仰るアクターとは役と生きる俳優。コメディアンとは演技の勉強をして演じる俳優のことのようだった。アメリカにはメソードというものがマーロン・ブランドから始まり、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ...ジョニー・デップという俳優たちが浮かんだ。でも、少し意味合いが違う。役者と言っても様々なスタイルがある。でも、役と共に生きると語るドロンのお言葉には説得力がある。そして、好きな仕事をしてきたというお話など胸が熱くなった。ネクタイもなく本当にお昼ご飯を食べに50年ぶりに来日されたようだった、その日の9時のフライトで帰るとも。SMAPの5人とも素敵だし、彼らの倍以上のキャリアと年齢。気さくで人間臭さを感じた。中居君は何度もポン!とされていてそんな姿も素敵だった。映画でやりたいことは全て成したというようなお言葉もあった。でも、舞台やテレビの世界でまだまだ俳優
アラン・ドロンの歴史は続くのは嬉しいかぎり☆
そうそう!チョコレートがお好きだとも仰っていたので嬉しかった!私も大好きなので♪それにしても、どれも美味しそうだった☆長寿番組となっている、この番組の魅力を再び感じることができた。タカラヅカのスター方が最後に登場するこの日の豪華さに満腹!
- 2007/11/13(火) 04:59:26|
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<質問>「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」といえば、『プリティ・ベビー』を見ながら、キースキャラダイン扮する写真家ベロックと
ブルック・シールズのプリティ・ベビーの関係から
ルイス・キャロルとアリス・リデルの関係を想起せずにはいられなかったのですが、当然ながら意識的に関連づけて描かれたのでしょうか。
<
ルイ・マル>もちろんです。そう、それは最初からずっと考えていました。実際、ベロックが撮った少女娼婦の写真は
ルイス・キャロルが撮った少女の写真によく比較されるし、酷似しているのです。ベロックの大部分の写真は若い娼婦たちの写真ですが、その写真集のカバーにもなっている全裸の少女の写真は出色のすばらしさで、少女写真家の第一人者である
ルイス・キャロルの写真をしのぐ異様な魅力と不安にみちた美しさです。
『プリティ・ベビー』や、以前の
『地下鉄のザジ』や『ブラック・ムーン』などのお話、撮影担当の素晴らしき!スヴェン・ニクヴィストのことなどにも触れながら、このように語っておられ、”やっぱり〜♪”と確信を持て嬉しくなったのでした。
※
ルイ・マル作品は好きなものが多く、また「ブラック・ムーン」他についても沢山浮かびますので、追々のんびりと感想をと思っています♪

超美少女のバイオレット♪
- 2007/10/28(日) 06:49:51|
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記憶というものは不思議。不意に甦る風景や人、会話や活字たち。でも、データ化された記録でもないので断片的で不確かで曖昧。ある事を思い出しても、どこで読んだのか、何に書いてあったのか...となかなか思い出せないことがいっぱい。ゴダール監督が1990年に
アラン・ドロンを主役(一人二役)にその題名も『ヌーヴェル・ヴァーグ』という作品を作られた。この初共同作品のニュースを当時どれ程喜んだだろう!その頃の私(80年代の終わり)が思い出される。そして、ゴダールが
アラン・ドロンについて語ったものをやっと(未だに引越しの書籍群は整理できていない)、見つけ出した。懐かしさと嬉しさで一人で上機嫌になってしまった。以下、一部ながら。
「私はカンヌに来ることを最後まで躊躇した。作家として、また監督として私はここに来ることはなかっただろう。共同製作者の私は映画のプロデューサーや出演者たちに感謝の意を込め、ここで握手しなければならない義務があるのだ。また、或る意味では一度、30年たった今、カンヌを再訪し、初めてここに来た時の感情を振り返ってみたかった。その年、私はジャック・ロジェとクロワゼット大通りを歩いていてジャック・ニコルソンと擦れ違う。俳優として駆け出しだった彼は、モンティ・ヘルマンの映画フィルムを脇に抱えてここに売り込みに来ていたのだ。そして、奇遇にも
アラン・ドロンもまた、、彼のデビュー作であるイヴ・アングレの『女が事件にからむ時』でカンヌにやって来ていた。ゆえに、私とドロンは30年前に、ここカンヌで擦れ違い、以後30年間、それぞれ別個に同じフランス映画産業で生きて来たのだ。
長い間私はドロンと一緒に映画を作ることを望んでいた。そしてこの『ヌーヴェル・ヴァーグ』で、彼の役−私には彼以外の俳優はあり得なかった−を見付けたのだった。例えば、彼には彼自身に対して、また他人との関係に於いて、《
アラン・ドロン》であると同時にかつての《
アラン・ドロン》でありえるのだ。それ故、彼はこの二重の役柄を演じることが出来たのである。ドロンは彼自身の中に独自の悲劇をもっている人間だ。そして私は、映画の中でも言っているように、彼を苛立てたり、厭がらせをしたり、殺したりすることは出来るが、ただそれだけなのだ。科学者たちのよく知る《スタア》が必要なのだ。だが、《スタア》とははるか彼方の物体で、我々は遅れによってしかその光を受けることが出来ない。例えば月光のように。映画スタアたちも同様なのだ。彼らはこの光、または過ぎ去って行った何かを象徴しているのだ。そして我々はその象徴をある意味において使用するのである。」
1990年のカンヌ国際映画祭でこの『ヌーヴェル・ヴァーグ』はパルム・ドールにノミネートされていた。受賞はデヴィッド・リンチ監督の『ワイルド・アット・ハート』。今年もカンヌ映画祭の季節になった。この映画祭が大好き。しかし、ゴダールは幾度もノミネートされているけれど、まだパルム・ドールを受賞されてはいない。以前、カンヌ映画祭の歴史のようなドキュメンタリーをテレビで観たことがある。1968年の開催目前に、ゴダールとトリュフォーは中止を叫び訴えていた。時は五月革命。華麗に着飾ったスター達や受賞候補者達の胸中も様々だっただろう。結局この年のみ、カンヌ国際映画祭は中止されたという事実。その映像のゴダールとトリュフォーの目や表情が焼きついている。彼らは映画人であると同時に哲学者のようにも思う。生き様、言行が作品と共にある。好き嫌いはあるだろうけれど、やっぱりゴダールは好きだ!と再認識するのだった。

素敵な
アラン・ドロン♪
- 2007/05/08(火) 03:43:57|
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先ず、私は
パトリス・ルコント監督作品がとても好きなので、かなり贔屓目いっぱいでいつも新作を楽しく鑑賞している。そして、ルコント作品(今のところ6作品に出演)に欠かせないお方、
ジャン・ロシュフォール!年老いてゆくことは年輪を刻むことだと思っているので、このようなお方の存在は正しく美しいと思えてならない。とても自然。私も年を重ねる中、この
ジャン・ロシュフォールという不思議な魅力に溢れた名優さまが好きになってゆく。この作品ではなんと!
ジョニー・アリディと共演♪もう観る前から渋いに決まっていると。このアリディ、実は結構映画にも出ておられ、刑事役とか好きだったりする。アリディは今の日本だとお若い方には(こういう言い方をするお年になった自分にドキリとする)ピンと来ないお名前かも?ところが、フランスではずっと、ずっと大スター!であり続けている。カリスマ的な存在のお方。フランスの音楽もとても好きなのでアリディも聴くのだけれど、初期の作品よりも90年代以降の方が好きな曲が多い。それも地味なバラード調の曲たちにグッとくる。
ジャン・ロシュフォールと
ジョニー・アリディの初共演。それだけで泣けてくるような気分は何だろう...。お二人の年齢差は一回り以上。共に枯れた渋い男の芳香を醸し出していて素敵。白髪が素敵だと思えるような方々っていいなぁ...。
”これまで、彼とは一度か二度、握手をしたことがあるだけです。ジョニーは彼の歌を通して、私達の時代を見事に物語っています。彼と一緒に仕事をして、あることに気づきました。ショウビジネスの裏側にあるものは、隠された絶望、脆さ、儚さ、驚くまでの偽りのなさです。そういう意味では、ジョニーは完璧に彼自身でした。他の何者でもありません。”
俯く姿の悲哀さに美しさを感じさせる
ジョニー・アリディ。60年代のロック仲間でもあったジャック・デュトロンも役者として多数の映画に出演されている。私はデュトロンの音楽の方をアリディよりも多く聴いてきたのだけれど、この
ジャン・ロシュフォールのお言葉を知り、よりアリディに興味を持つようになれたこと。このルコント作品が私に棚で眠っているレコードたちを思い出させて下さったようにも思う。こうして、私は映画と音楽の絆の深さを痛感出来、幸せに思う☆
- 2007/03/10(土) 20:30:08|
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ジム・ジャームッシュ監督の11の「コーヒーと煙草」に関するエピソードからなる短編集作品。豪華メンバーだけれど、やっぱり中でも「カリフォルニアのどこかで」の中のこの実名で登場のお二人のやり取りが最高に面白く嬉しいもの♪
トム・ウェイツが”俺達はコーヒー&シガレッツ世代なんだ。”という。いつまでもカッコイイ!
イギー・ポップといつ見ても存在感のある
トム・ウェイツ。この組み合わせを実現させたジャームッシュのセンスも最高!
- 2007/01/21(日) 07:18:31|
- シネマ蒐集(好きな場面・資料など)|
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この『父よ』が遺作となってしまった
ジョゼ・ジョヴァンニが90年代に語っていた語録より。監督のこの男の美学は残された作品たちの中で、最後まで貫かれている。
「”男”とは、なによりも先ず”自らの旗印のために戦いぬく”者です。たとえ戦う相手が数において勝っていようとも、富において圧する力をもっていようとも、彼は戦いぬき、そして、戦いぬく限り、誰も彼を坐くことはできない。彼を殺すことはできても、滅ぼすことはできない。女が彼を捨てても「男」は存在し続ける。鎖につながれても、奴隷にはならない。それが「男」です。「男」とはそれ自身でひとつの独立した存在でなければならないのです。」
女々しい私はこの様なお言葉に胸を打たれる。カッコイイ!
とはいうものの、優男や女々しい弱い男性の映画も心打たれるものはある。悪女も根性悪の悪女は素敵ではない。美少女だって外見だけでは飽きてしまう...でも、それぞれ人間。多分に私は人間好きなのだと思う。
- 2007/01/18(木) 19:55:26|
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 | モロッコ
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ出演:ゲイリー・クーパー、マレーネ・ディートリッヒ、アドルフ・マンジュー(1930年・アメリカ映画)
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日本で最初の字幕スーパー(スーパーインポーズ)の登場は『モロッコ』だった。1931年公開と記録されている。監督はウィーン出身のジョセフ・フォン・スタンバーグ。まだ新人だったマレーネ・ディートリッヒを主演に
『嘆きの天使』をドイツで制作後、アメリカに進出。トーキー初期の名作のひとつ。それまでの日本では、弁士が日本語でお話を語っていたそうだ。そういうのも楽しそうだけれど。スクリーンに字を焼き付けるのだから、それは大変な作業なのだと思う。古い映画を観ると字幕の書体にも味わいがあり何となくいいなぁ〜と思うことがある。
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- 2007/01/10(水) 08:13:38|
- ドキドキ★シネマ万華鏡|
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「悲劇を成就せねばならぬ。崩れるものはすべて醜い。」という全篇の主題は、登場人物の心理というよりは、この詩人の作者の制作心理に近いのである。映画という即戦即決の、はかないジャンルに対するコクトオの熱情をも、この主題が告白しているようにも思われる。
この映画を見たあとで、ふしぎに細部を思い出さない。コクトオの映画では、いちばん大味なもので、また大味なところを狙ったものであろう。この大味が気に入らない人は、きっと悪口をいうだろう。しかし私はコクトオびいきだから、この作品ではわざと、粗い太い線を使ったのだと考えたい。by三島由紀夫
★三島の映画評論は多数残されて嬉しい。コクトオと書かれているのでもっと若い頃は作文を書くとき等私もこの様なカタカナ表示を使っていたことを思い出す。三島の映画好き、ことに
ジャン・コクトー好きは有名でコクトーに関する興味深い文章はとても多いので、また他にも色々綴らせて頂くと思う。私は単純に綺麗で壮大なドラマティックなこの映画(映像もお話も)
『双頭の鷲』が好き。
美輪明宏さまのお芝居も素晴らしいものだったので、この様な方々の繋がりに慄く。
- 2006/10/26(木) 14:06:50|
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B.B.こと
ブリジット・バルドーの出世作となった
『素直な悪女』は、本国フランスでは当時酷評で、「これはサタンだ!」と検閲官は叫び、興行成績は思わしくなかったそうだ。宗教団体が上映阻止したとも。1956年の
ロジェ・ヴァディムが妻であったバルドー(当時22歳)を主演に、大胆かつ官能的な描写が問題だったのだろう。今から50年も前の事なのだから。でも、「サタン」とは?!(分かる気もするのだけれど...。)
公開年は1957年。同じ1956年にはフランソワーズ・アルヌール主演の
『大運河』も監督。こちらの公開は少し遅れて1959年。ヴァディムの監督デビュー作としても、バルドーならではの魅力(小悪魔、ニンフェットとしての)に溢れた名作のひとつとしても私は好き。この作品で共演したジャン=ルイ・トランティニャンとの恋も有名。名優トランティニャンもまだお若くて、バルドーの魅力の前では存在が希薄にさえ感じてしまう程。
面白いなぁ〜って思うのは、この作品がアメリカでは大好評で、1957年のアメリカでの興行収入は年間ベスト1を記録したという。結果的にはヴァディムは製作費を遥かに上回る収入を得る事が出来たのだ。「そして、神は女を創った」という原題のように、バルドーの存在は賛否両論だったと思うけれど新しい女性、新しいタイプの女優としての大きなポイントとなったのだと思う。
- 2006/08/07(月) 23:14:09|
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「この荘重にして暗鬱、耽美的にして醜怪、形容を絶するような高度の映画作品を見たあとでは、大ていの映画は歯ごたえのないものになってしまうにちがいない。」by
三島由紀夫★この批評、賛美に大きく頷くしかないのです!決して煌びやかな美しさだけが「美」ではない。とおそらく最初に教えて下さったのはヴィスコンティの映像。煌びやかでありその中には陰鬱で儚い光を見たような。そんな感動を得る事が出来て本当に幸せに思う。
「地獄に堕ちた勇者ども」:LA CADUTA DEGLI DEI1969年 イタリア/西ドイツ/スイス合作映画
ルキノ・ヴィスコンティ監督
出演:ダーク・ボガード、イングリッド・チューリン、ヘルムート・バーガー、ウンベルト・オルシーニ、シャーロット・ランプリング、ルネ・コルデホフ、ヘルムート・グリーム、ルノー・ヴェルレー
- 2006/03/12(日) 19:02:00|
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