★映画の宝石箱★美しき菫色の刻に愛を込めて☆ナルキッソスの鏡あるいは自惚れ鏡♪

楽の音は、小声で歌われる歌詞が消えても思い出の中でこだまする。by パーシー・ビッシュ・シェリー

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ルイ・マルが語る『プリティ・ベビー』とルイス・キャロルの関係

<質問>「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」といえば、『プリティ・ベビー』を見ながら、キースキャラダイン扮する写真家ベロックとブルック・シールズのプリティ・ベビーの関係からルイス・キャロルとアリス・リデルの関係を想起せずにはいられなかったのですが、当然ながら意識的に関連づけて描かれたのでしょうか。

<ルイ・マル>もちろんです。そう、それは最初からずっと考えていました。実際、ベロックが撮った少女娼婦の写真はルイス・キャロルが撮った少女の写真によく比較されるし、酷似しているのです。ベロックの大部分の写真は若い娼婦たちの写真ですが、その写真集のカバーにもなっている全裸の少女の写真は出色のすばらしさで、少女写真家の第一人者であるルイス・キャロルの写真をしのぐ異様な魅力と不安にみちた美しさです。

『プリティ・ベビー』や、以前の『地下鉄のザジ』や『ブラック・ムーン』などのお話、撮影担当の素晴らしき!スヴェン・ニクヴィストのことなどにも触れながら、このように語っておられ、”やっぱり~♪”と確信を持て嬉しくなったのでした。

ルイ・マル作品は好きなものが多く、また「ブラック・ムーン」他についても沢山浮かびますので、追々のんびりと感想をと思っています♪

PrettyBabycinemachouchou
超美少女のバイオレット♪
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  1. 2007/10/28(日) 06:49:51|
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ジャン=リュック・ゴダールが語るアラン・ドロン主演の『ヌーヴェルヴァーグ』

ヌーヴェルヴァーグ ヌーヴェルヴァーグ:NOUVELLE VAGUE
監督:ジャン=リュック・ゴダール 出演:アラン・ドロン、ドミツィアーナ・ジョルダーノ、ロラン・アムステュツ
(1990年・フランス・スイス合作映画)

記憶というものは不思議。不意に甦る風景や人、会話や活字たち。でも、データ化された記録でもないので断片的で不確かで曖昧。ある事を思い出しても、どこで読んだのか、何に書いてあったのか...となかなか思い出せないことがいっぱい。ゴダール監督が1990年にアラン・ドロンを主役(一人二役)にその題名も『ヌーヴェル・ヴァーグ』という作品を作られた。この初共同作品のニュースを当時どれ程喜んだだろう!その頃の私(80年代の終わり)が思い出される。そして、ゴダールがアラン・ドロンについて語ったものをやっと(未だに引越しの書籍群は整理できていない)、見つけ出した。懐かしさと嬉しさで一人で上機嫌になってしまった。以下、一部ながら。

「私はカンヌに来ることを最後まで躊躇した。作家として、また監督として私はここに来ることはなかっただろう。共同製作者の私は映画のプロデューサーや出演者たちに感謝の意を込め、ここで握手しなければならない義務があるのだ。また、或る意味では一度、30年たった今、カンヌを再訪し、初めてここに来た時の感情を振り返ってみたかった。その年、私はジャック・ロジェとクロワゼット大通りを歩いていてジャック・ニコルソンと擦れ違う。俳優として駆け出しだった彼は、モンティ・ヘルマンの映画フィルムを脇に抱えてここに売り込みに来ていたのだ。そして、奇遇にもアラン・ドロンもまた、、彼のデビュー作であるイヴ・アングレの『女が事件にからむ時』でカンヌにやって来ていた。ゆえに、私とドロンは30年前に、ここカンヌで擦れ違い、以後30年間、それぞれ別個に同じフランス映画産業で生きて来たのだ。

長い間私はドロンと一緒に映画を作ることを望んでいた。そしてこの『ヌーヴェル・ヴァーグ』で、彼の役-私には彼以外の俳優はあり得なかった-を見付けたのだった。例えば、彼には彼自身に対して、また他人との関係に於いて、《アラン・ドロン》であると同時にかつての《アラン・ドロン》でありえるのだ。それ故、彼はこの二重の役柄を演じることが出来たのである。ドロンは彼自身の中に独自の悲劇をもっている人間だ。そして私は、映画の中でも言っているように、彼を苛立てたり、厭がらせをしたり、殺したりすることは出来るが、ただそれだけなのだ。科学者たちのよく知る《スタア》が必要なのだ。だが、《スタア》とははるか彼方の物体で、我々は遅れによってしかその光を受けることが出来ない。例えば月光のように。映画スタアたちも同様なのだ。彼らはこの光、または過ぎ去って行った何かを象徴しているのだ。そして我々はその象徴をある意味において使用するのである。」

1990年のカンヌ国際映画祭でこの『ヌーヴェル・ヴァーグ』はパルム・ドールにノミネートされていた。受賞はデヴィッド・リンチ監督の『ワイルド・アット・ハート』。今年もカンヌ映画祭の季節になった。この映画祭が大好き。しかし、ゴダールは幾度もノミネートされているけれど、まだパルム・ドールを受賞されてはいない。以前、カンヌ映画祭の歴史のようなドキュメンタリーをテレビで観たことがある。1968年の開催目前に、ゴダールとトリュフォーは中止を叫び訴えていた。時は五月革命。華麗に着飾ったスター達や受賞候補者達の胸中も様々だっただろう。結局この年のみ、カンヌ国際映画祭は中止されたという事実。その映像のゴダールとトリュフォーの目や表情が焼きついている。彼らは映画人であると同時に哲学者のようにも思う。生き様、言行が作品と共にある。好き嫌いはあるだろうけれど、やっぱりゴダールは好きだ!と再認識するのだった。

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素敵なアラン・ドロン♪


  1. 2007/05/08(火) 05:25:18|
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ジャン=リュック・ゴダールが語るアラン・ドロン主演の『ヌーヴェルヴァーグ』

ヌーヴェルヴァーグ ヌーヴェルヴァーグ:NOUVELLE VAGUE
監督:ジャン=リュック・ゴダール 出演:アラン・ドロン、ドミツィアーナ・ジョルダーノ、ロラン・アムステュツ
(1990年・フランス・スイス合作映画)

記憶というものは不思議。不意に甦る風景や人、会話や活字たち。でも、データ化された記録でもないので断片的で不確かで曖昧。ある事を思い出しても、どこで読んだのか、何に書いてあったのか...となかなか思い出せないことがいっぱい。ゴダール監督が1990年にアラン・ドロンを主役(一人二役)にその題名も『ヌーヴェル・ヴァーグ』という作品を作られた。この初共同作品のニュースを当時どれ程喜んだだろう!その頃の私(80年代の終わり)が思い出される。そして、ゴダールがアラン・ドロンについて語ったものをやっと(未だに引越しの書籍群は整理できていない)、見つけ出した。懐かしさと嬉しさで一人で上機嫌になってしまった。以下、一部ながら。

「私はカンヌに来ることを最後まで躊躇した。作家として、また監督として私はここに来ることはなかっただろう。共同製作者の私は映画のプロデューサーや出演者たちに感謝の意を込め、ここで握手しなければならない義務があるのだ。また、或る意味では一度、30年たった今、カンヌを再訪し、初めてここに来た時の感情を振り返ってみたかった。その年、私はジャック・ロジェとクロワゼット大通りを歩いていてジャック・ニコルソンと擦れ違う。俳優として駆け出しだった彼は、モンティ・ヘルマンの映画フィルムを脇に抱えてここに売り込みに来ていたのだ。そして、奇遇にもアラン・ドロンもまた、、彼のデビュー作であるイヴ・アングレの『女が事件にからむ時』でカンヌにやって来ていた。ゆえに、私とドロンは30年前に、ここカンヌで擦れ違い、以後30年間、それぞれ別個に同じフランス映画産業で生きて来たのだ。

長い間私はドロンと一緒に映画を作ることを望んでいた。そしてこの『ヌーヴェル・ヴァーグ』で、彼の役-私には彼以外の俳優はあり得なかった-を見付けたのだった。例えば、彼には彼自身に対して、また他人との関係に於いて、《アラン・ドロン》であると同時にかつての《アラン・ドロン》でありえるのだ。それ故、彼はこの二重の役柄を演じることが出来たのである。ドロンは彼自身の中に独自の悲劇をもっている人間だ。そして私は、映画の中でも言っているように、彼を苛立てたり、厭がらせをしたり、殺したりすることは出来るが、ただそれだけなのだ。科学者たちのよく知る《スタア》が必要なのだ。だが、《スタア》とははるか彼方の物体で、我々は遅れによってしかその光を受けることが出来ない。例えば月光のように。映画スタアたちも同様なのだ。彼らはこの光、または過ぎ去って行った何かを象徴しているのだ。そして我々はその象徴をある意味において使用するのである。」

1990年のカンヌ国際映画祭でこの『ヌーヴェル・ヴァーグ』はパルム・ドールにノミネートされていた。受賞はデヴィッド・リンチ監督の『ワイルド・アット・ハート』。今年もカンヌ映画祭の季節になった。この映画祭が大好き。しかし、ゴダールは幾度もノミネートされているけれど、まだパルム・ドールを受賞されてはいない。以前、カンヌ映画祭の歴史のようなドキュメンタリーをテレビで観たことがある。1968年の開催目前に、ゴダールとトリュフォーは中止を叫び訴えていた。時は五月革命。華麗に着飾ったスター達や受賞候補者達の胸中も様々だっただろう。結局この年のみ、カンヌ国際映画祭は中止されたという事実。その映像のゴダールとトリュフォーの目や表情が焼きついている。彼らは映画人であると同時に哲学者のようにも思う。生き様、言行が作品と共にある。好き嫌いはあるだろうけれど、やっぱりゴダールは好きだ!と再認識するのだった。

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素敵なアラン・ドロン♪


  1. 2007/05/08(火) 03:43:57|
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ジャン・ロシュフォールが語る、ジョニー・アリディとの共演について。

列車に乗った男 列車に乗った男:L' HOMME DU TRAIN
監督:パトリス・ルコント 出演:ジャン・ロシュフォールジョニー・アリディ (2002年・フランス映画)

先ず、私はパトリス・ルコント監督作品がとても好きなので、かなり贔屓目いっぱいでいつも新作を楽しく鑑賞している。そして、ルコント作品(今のところ6作品に出演)に欠かせないお方、ジャン・ロシュフォール!年老いてゆくことは年輪を刻むことだと思っているので、このようなお方の存在は正しく美しいと思えてならない。とても自然。私も年を重ねる中、このジャン・ロシュフォールという不思議な魅力に溢れた名優さまが好きになってゆく。この作品ではなんと!ジョニー・アリディと共演♪もう観る前から渋いに決まっていると。このアリディ、実は結構映画にも出ておられ、刑事役とか好きだったりする。アリディは今の日本だとお若い方には(こういう言い方をするお年になった自分にドキリとする)ピンと来ないお名前かも?ところが、フランスではずっと、ずっと大スター!であり続けている。カリスマ的な存在のお方。フランスの音楽もとても好きなのでアリディも聴くのだけれど、初期の作品よりも90年代以降の方が好きな曲が多い。それも地味なバラード調の曲たちにグッとくる。ジャン・ロシュフォールジョニー・アリディの初共演。それだけで泣けてくるような気分は何だろう...。お二人の年齢差は一回り以上。共に枯れた渋い男の芳香を醸し出していて素敵。白髪が素敵だと思えるような方々っていいなぁ...。

”これまで、彼とは一度か二度、握手をしたことがあるだけです。ジョニーは彼の歌を通して、私達の時代を見事に物語っています。彼と一緒に仕事をして、あることに気づきました。ショウビジネスの裏側にあるものは、隠された絶望、脆さ、儚さ、驚くまでの偽りのなさです。そういう意味では、ジョニーは完璧に彼自身でした。他の何者でもありません。”

俯く姿の悲哀さに美しさを感じさせるジョニー・アリディ。60年代のロック仲間でもあったジャック・デュトロンも役者として多数の映画に出演されている。私はデュトロンの音楽の方をアリディよりも多く聴いてきたのだけれど、このジャン・ロシュフォールのお言葉を知り、よりアリディに興味を持つようになれたこと。このルコント作品が私に棚で眠っているレコードたちを思い出させて下さったようにも思う。こうして、私は映画と音楽の絆の深さを痛感出来、幸せに思う☆

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  1. 2007/03/10(土) 20:30:08|
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ジョゼ・ジョヴァンニが語る「男」について

父よ 父よ:MON PERE IL MA SAUVE LA VIE
監督:ジョゼ・ジョヴァンニ 出演:ブリュノ・クレメール、ヴァンサン・ルクール、ミシェル・ゴデ、リュフュス
(2001年・フランス映画)
この『父よ』が遺作となってしまったジョゼ・ジョヴァンニが90年代に語っていた語録より。監督のこの男の美学は残された作品たちの中で、最後まで貫かれている。

「”男”とは、なによりも先ず”自らの旗印のために戦いぬく”者です。たとえ戦う相手が数において勝っていようとも、富において圧する力をもっていようとも、彼は戦いぬき、そして、戦いぬく限り、誰も彼を坐くことはできない。彼を殺すことはできても、滅ぼすことはできない。女が彼を捨てても「男」は存在し続ける。鎖につながれても、奴隷にはならない。それが「男」です。「男」とはそれ自身でひとつの独立した存在でなければならないのです。」

女々しい私はこの様なお言葉に胸を打たれる。カッコイイ!

とはいうものの、優男や女々しい弱い男性の映画も心打たれるものはある。悪女も根性悪の悪女は素敵ではない。美少女だって外見だけでは飽きてしまう...でも、それぞれ人間。多分に私は人間好きなのだと思う。


  1. 2007/01/18(木) 19:55:26|
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『三島由紀夫映画批評2』「双頭の鷲」について

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「悲劇を成就せねばならぬ。崩れるものはすべて醜い。」という全篇の主題は、登場人物の心理というよりは、この詩人の作者の制作心理に近いのである。映画という即戦即決の、はかないジャンルに対するコクトオの熱情をも、この主題が告白しているようにも思われる。

この映画を見たあとで、ふしぎに細部を思い出さない。コクトオの映画では、いちばん大味なもので、また大味なところを狙ったものであろう。この大味が気に入らない人は、きっと悪口をいうだろう。しかし私はコクトオびいきだから、この作品ではわざと、粗い太い線を使ったのだと考えたい。by三島由紀夫

★三島の映画評論は多数残されて嬉しい。コクトオと書かれているのでもっと若い頃は作文を書くとき等私もこの様なカタカナ表示を使っていたことを思い出す。三島の映画好き、ことにジャン・コクトー好きは有名でコクトーに関する興味深い文章はとても多いので、また他にも色々綴らせて頂くと思う。私は単純に綺麗で壮大なドラマティックなこの映画(映像もお話も)『双頭の鷲』が好き。美輪明宏さまのお芝居も素晴らしいものだったので、この様な方々の繋がりに慄く。


  1. 2006/10/26(木) 14:06:50|
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『まぼろし』 のマリー役について語る、シャーロット・ランプリングさま。

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「このマリーの役は、一つの役というよりはこれまでの人生の集大成といったことかもしれません。誰もが通らなければならない道なのです。私の姉は20歳のときに自殺しました。母は姉の死後もずっと姉が生きている如く思い出に生きようとしました。私はといえば、彼女を弔うどころか忘れようとしたのです。でも、死んだ人をいつまでも放してあげないということも問題です。ある時、死後の世界に旅立たせてあげなくてはいけないのではないでしょうか。」by シャーロット・ランプリング

★日本で公開直前のインタビュー記事より。大阪の今はもう無い小さな映画館で観た。観終えた私はお仕事に戻る為に、その帰り道を呆然とフラフラと歩いていたと思う。涙がいつまでも止まらないまま。雑誌の整理をしていたら出てきたこの記事。偶然は有り得ない。当時の私はこのインタビューを繰り返し読んだ。そして、今、ようやくこのお言葉に頷くことが出来るようになった...まだ不安定だけれど、私も両親の死をやっと受け入れる用意ができるところまで。小学生の私をあの視線が釘付けにした。そして今も。特別な思い入れの強いお方。それにしても、素晴らしい作品。オゾン監督を見直した作品であり、ランプリングでなければ!という静かで美しい崩れゆくさま。挿入歌でバルバラのシャンソンも流れる。

「まぼろし」:SOUS LE SABLE
2001年 フランス映画 フランソワ・オゾン監督
出演:シャーロット・ランプリング、ブリュノ・クレメール、ジャック・ノロ、アレクサンドラ・スチュワルト、ピエール・ヴェルニエ、アンドレ・タンジー




  1. 2006/05/29(月) 19:06:29|
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『三島由紀夫映画批評1』「地獄に堕ちた勇者ども」についての賛辞

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「この荘重にして暗鬱、耽美的にして醜怪、形容を絶するような高度の映画作品を見たあとでは、大ていの映画は歯ごたえのないものになってしまうにちがいない。」by 三島由紀夫

★この批評、賛美に大きく頷くしかないのです!決して煌びやかな美しさだけが「美」ではない。とおそらく最初に教えて下さったのはヴィスコンティの映像。煌びやかでありその中には陰鬱で儚い光を見たような。そんな感動を得る事が出来て本当に幸せに思う。

「地獄に堕ちた勇者ども」:LA CADUTA DEGLI DEI
1969年 イタリア/西ドイツ/スイス合作映画 ルキノ・ヴィスコンティ監督
出演:ダーク・ボガード、イングリッド・チューリン、ヘルムート・バーガー、ウンベルト・オルシーニ、シャーロット・ランプリング、ルネ・コルデホフ、ヘルムート・グリーム、ルノー・ヴェルレー




  1. 2006/03/12(日) 19:02:00|
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『裏窓』 蓮實重彦 「足場の崩壊」より

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「『裏窓』の特権的な舞台装置は窓そのものではなく、窓と窓とを距てている中庭という虚空の存在であるということだ。」by 蓮實重彦 「足場の崩壊」より抜粋

★不規則な周期でヒッチコックが観たくなる。恐怖映画も多種に渡るけれど心理サスペンスはどうも好きな私。怖がりの癖にこの矛盾は意味不明。鮮血ものホラーは大の苦手。これは蓮實氏がヒッチコック作品について語っている中のもの。グレイス・ケリーの美しさと時にユーモラスなので大好きな作品。ハラハラ感と巧妙な展開はこうした窓や中庭という舞台装置としての設定、その計算されたトリックの巧妙さから生み出されるものなのだと納得。凄い!

「裏窓」:REAR WINDOW

1954年 アメリカ映画 アルフレッド・ヒッチコック監督

出演:ジェームズ・スチュワート、グレイス・ケリー、レイモンド・バー、セルマ・リッター、ウェンデル・コーリイ


  1. 2005/11/20(日) 07:21:27|
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『恋人までの距離』でのセリーヌの台詞

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「人間より環境の方が強いの。人間は脆く移ろいやすいものなのよ。」

★ウィーンの町を観光しながらある展覧会の張り紙を見ながらセリーヌ(ジュリー・デルピー)がジェシー(イーサン・ホーク)に語る。この映画の魅力は彼らの会話がとても新鮮な感じで始終描かれているところ。数々の会話に感銘を受けることが出来た。続編「ビフォア・サンセット」を予感させる終わり方もロマンティック。


「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」:BEFORE SUNRISE
1995年 アメリカ映画 リチャード・リンクレイター監督
出演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー、アーニ・マンゴールド、ドミニク・キャステル


  1. 2005/08/10(水) 07:28:27|
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『ガウディアフタヌーン』でのサンドラの台詞

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「人は変わらない。時たま数歩、進歩するだけ。」

★この映画の中の翻訳家カサンドラ(ジュディ・ディヴィス)がラストに語る言葉より。4人の個性派女優によるそれぞれの生き方の描写が好きだ。そして、このカサンドラの最後の言葉は何故かとても納得してしまった。

「ガウディアフタヌーン」:GAUDI AFTERNOON
2001年 アメリカ/スペイン合作映画 スーザン・シーデルマン監督
出演:ジュディ・ディヴィス、マーシャ・ゲイ・ハーデン、リリ・テイラー、ジュリエット・ルイス、クリストファー・ボウエン


  1. 2005/06/14(火) 07:32:07|
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『禁じられた遊び』のポレットとミシェルの台詞

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「お墓ってなあに?」

「死んだ人をあつめておくところさ。」

「じゃぁ、この子犬と一緒にほかの子犬も埋めなきゃ寂しがるわ。」

★5歳の少女ポレットと11歳の少年ミシェルの会話より。美しく切ない音楽と共に、クレマン監督は戦争の悲劇と残酷さを、まだ両親の死の意味を知らない幼い少女を通して描いた。私も子供の頃、お友達と秘密遊びをしたものだ。でも、時代が違いすぎた...幸いなことに思う。

「禁じられた遊び」:JEUX INTERDITS
1951年 フランス映画 ルネ・クレマン監督
出演:ブリジット・フォッセー(フォセー)、ジョルジュ・プージュリー、シュザンヌ・クールタル、ジャック・マラン


  1. 2005/06/13(月) 07:35:11|
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